戦前、結核が世界中で大流行し続けた原因は?高蛋白食でなかったから!スミルノフ学派Dr佐野千遥
日本がん難病サポート協会名誉会長、ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派数理物理学最高責任者:ドクター佐野千遥
ヨーグルトに於いては、乳酸菌の酸で、乳の蛋白はカゼインとホエイに分離される。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1453571684
ホエイは良質な蛋白であるが、カゼインは脳神経に興奮を引き起こす蛋白である。
ヨーグルトではカゼインはアミノ酸に一部分解され、アミノ酸の含有量は牛乳4倍量となる。
またカゼインはその消化過程で、カゼインからカゼインの興奮機能を抑えるためのオピオイド・ペプチドなる物質が生成される。
またカゼインの消化過程で生成される「カゼイン・ホスホペプチド」(CPP)なる物質は、小腸下部でのカルシウムの吸収を助けます。(これは植物性カルシウムの為には存在しない)
http://www.meiji.co.jp/meiji-shokuiku/know/knowledge/ingredients_protein/
更に乳酸発酵によって、牛乳の蛋白質の8割を占めるカゼインは、ヨーグルトの中で豆腐のように固まっているが、これは牛乳よりも吸収され易い形に成っている、という意味である。
牛乳の欠点を乳酸菌で改良した物が、ヨーグルトである。
乳糖が分解されており、牛乳を飲むと乳糖故に消化不良下痢してしまう黄色人種、黒人もヨーグルトでは下痢せず、ヨーグルトからカルシウムを摂取できる。
ヨーグルトはインターフェロンを増加させる。
インターフェロンとは、
“インターフェロン(英: Interferon、略号:IFN)とは動物体内で病原体(特にウイルス)や腫瘍細胞などの異物の侵入に反応して細胞が分泌する蛋白質のこと。ウイルス増殖の阻止や細胞増殖の抑制、免疫系および炎症の調節などの働きをするサイトカインの一種である。”(「インターフェロン」wiki)
近世にヨーロッパで、そして日本でも戦前、結核が大流行した、しかし現在では少なくとも先進国、そして日本に於いて結核は流行していなくなっているそもそもの原因は、戦後、世界的に高蛋白食と成った為である。つまり高蛋白食は免疫系蛋白質=インターフェロンを多く生成するからである。
抗生物質“ストレプトマイシン”[註]が発見されたから、戦後は結核が流行しなくなった、というのは誤りである。終戦時頃から、結核に掛かった時に“ストマイ”で結核を治すように成った事は事実であるが、これは“ストマイ”が、結核に掛かった時に治した、というだけで、戦後結核が自然発生的に流行しなくなった理由にはならない。又、実際、終戦直後に於いて、ストレプトマイシンは非常に高価な薬剤であったので、金持ちでも無い限り、一般の人はその恩恵に浴する事が出来ないでいた。
[註]:現代の劣悪化した環境に於いては、新しい抗生物質に対して、菌類、ビールスが抗生物質開発の速度を上回る速度で進化して必ず耐性菌、耐性ビールスが発生してしまう。
ゲルソン博士
ゲルソン博士は、結核患者400名にニンジン・ジュースをコップで、日に4回~13回飲ます事により、396名を3か月で完治させ、残りの4人を10ヶ月で完治させた。
よって1943年開発の抗生物質ストレプトマイシンよりも遥か以前で、而も当時「不治の病」とされていた結核を、免疫力自体を強化して撃退したゲルソン療法の方が、抗生物質ストレプトマイシンよりも、遥かに勝った療法である、と言えるのである。
現在、医学学会で「近世にヨーロッパで、そして日本でも戦前、結核が何故大流行したのか?」についての学説間の論争が有るが、それらはいずれも当を得ていないものである。
幕末の新選組・沖田総司が実際、結核で命を落としている。
新選組・沖田総司
“鳥羽・伏見の戦いには参加できず、大坂に後送される(鳥羽・伏見の戦いに向かう間に負傷し、大阪に後送される船中において肺結核を発症したとも)。鳥羽・伏見での敗戦後、隊士と共に海路江戸へ戻り、甲陽鎮撫隊に参加する(諸説あり)も、中途での落伍を余儀なくされる。
以後は幕府の医師・松本良順により千駄ヶ谷の植木屋に匿われ、近藤勇斬首から2ヶ月後の慶応4年(1868年)に死去。近藤の死を知らないまま亡くなったともいわれる。
”(「沖田総司」wiki)
日本では未だ都市化が進んでいなかった江戸時代に既に結核が流行したという事は、このブログの先の方で述べる田園のマイコバクテリアとの接触による免疫系の強化作用も未だ消滅して居なかった時期であるから、田園のマイコバクテリアとの接触による免疫系の強化作用の消滅によるヨーロッパでの結核の流行を説明しようと言う学説は、これに適用できず、棄却される。
そこで現在、医学学会で主張されているもう一つの“有力仮説”=“結核菌が近代化・都市化による環境悪化で新型菌として発生したから”も検討してみると、これも
1 生物兵器なるものが未だ開発され始める前であり、
2 沖田総司は来日していた西洋人と殊更に接触した事も無い
3 日本は当時、近代化・都市化が成される前の江戸時代なのだから、環境悪化が原因で、突然変異で新型結核菌が発生した、との論は、成立し難い。
“明治時代から昭和20年代まで、結核(肺病)は「国民病」と言われたほど広まっていました。昭和30年代後半(1960年代前半)でも、年間の発病者は30万人を越えていたほどです。”
http://hypertree.blog.so-net.ne.jp/2014-08-01
“多くの有名人が結核で命を落としています。文学者だけをとってみても、
正岡子規1867-1902(34歳)
樋口一葉1872-1896(24歳)
石川啄木1886-1912(26歳)
梶井基次郎1901-1932(31歳)
堀辰雄1904-1953(48歳)
”
が居ます。
“宮崎駿監督の『風立ちぬ』は堀辰雄を下敷き(の一つ)にしているので、富士見高原療養所が出てきます。喀血した里見菜穂子はサナトリウムで療養しているが、そこを抜け出し、名古屋まで堀越二郎に会いに行く。そして堀越の上司の家で祝言をあげ、初夜を迎える・・・・・・・。映画の中で最も印象的な場面(の一つ)です。”
“映画「風立ちぬ」の1シーン。富士見高原療養所で、患者たちが毛布にくるまって外気浴をしている。この中の一人が里見菜穂子である。画面には雪がちらついている。”
“結核は18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで大流行した。”
1848年のオペラ歌劇「椿姫」(ヴェルディ作)も結核患者の椿姫が主人公でした。
プッチーニ作のオペラ「ラ・ポエーム」ほヒロインのミミも結核患者でした。
“18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した。なぜ結核が突然大流行したのか(そして、なぜ、19世紀末に減少し始めたのか)という問題は、常に歴史家(医学会)の頭を悩ませてきた。”
“そもそも、結核菌に感染したとしても発病しないのが普通です。発病するのは感染者のせいぜい10%にすぎない。それも、感染から数ヶ月、数年、時には数10年たってから発病します。残りの人は結核菌を体内に留めたまま発病しない「不顕性感染者」となります。「不顕性感染者」は他人に結核菌を感染させることはありません。”
“最終的に結核菌を特定したロベルト・コッホは19世紀半ばのベルリンでは七人に一人が結核で死亡していたと推定している。”
“研究者の中には、感染度の高い新種の結核菌が出現したと考える人もいる…”
“ロンドン大学のジョン・グレンジとその共同研究者たちは、もっと微妙な変化が近代における結核の大流行の原因だと考えている。”
“ヨーロッパが都市化していくにつれて、土や泥の中に生息している環境中のマイコバクテリアと接触する機会が失われた。こうしたマイコバクテリウム属の細菌は、結核に対する免疫を自然に高めていた。農村や小都市の住人は、結核菌の近縁であるウシ型結核菌に感染したウシの乳も飲んでいたかもしれない。BCGワクチンは、ウシ型結核菌を弱毒化したものである。ヒトもウシ型結核菌に感染して発病することがあるが、これに一度感染すると結核に関して免疫ができる。グレンジらは、「結核の大流行は、これら結核菌以外のマイコバクテリウム属細菌への曝露パターンが変化した結果である」と主張している。”
このように現在、医学学会で「近世にヨーロッパで、そして日本でも戦前、結核が何故大流行したのか?」についての学説間の論争が有るが、それらはいずれも当を得ていないものである。つまり田園風景の環境で暮らしていた頃にその環境に自然に有った結核菌以外のマイコバクテリアが、ワクチン的な効果で免疫系を強化していたが、都市化した近世以降は、結核菌以外のマイコバクテリアとの接触機会が消滅して免疫系の強化の作用が消滅した為、結核が蔓延した、との論旨の説である。
この仮説の根本的難点は、では都市化して久しい現代に於いては結核菌以外のマイコバクテリアとの接触の機会は更に完全なゼロに近付いているのだから、現代人が結核菌に対し免疫力が上がった原因を全く説明できない点に有る。
ヨーロッパの近世に於いて、そして日本の戦前に於いて、結核が流行し始めた原因は、生活の近代化で自然の中で日光に当たり森林浴する機会が失われ、田園のマイコバクテリアとの接触の機会の消滅が原因で人間の免疫力が低下し、一旦結核に羅病した時、近世のヨーロッパ、戦前の日本に於いては高蛋白食でなかった為にインターフェロンを大量に生成できず、そして、ニンジンを大量にジュースにして飲めばリンが細胞内に供給されて免疫力が上がり結核が完治するゲルソン療法を知らなかった為に、低下した免疫力を強化する事が出来ないでいた為に、結核は当時、不治の病とされていた。
「何故、戦前は結核が流行し、戦後は流行しなくなったのか?」の問に対するずばり正解は、戦後の高蛋白食が免疫系蛋白質であるインターフェロンを多く生成するようになったから、である。
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