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日本原住民が真のユダヤ人だったという説は可能か?!!!!言語学者Dr佐野千遥

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日本原住民が真のユダヤ人だったという説は可能か?言語学者Dr佐野千遥

 

西国マドリード国立大学言語学大学院 →

仏国グルノーブル大学言語学大学院中退

闇の権力を無くす会会長:

Dr佐野千遥

 

日本原住民が本物のユダヤ人だったという説は可能か?

 

日本列島から出かけて行ってメソポタミア文明を開闢したアルタイ語族黄色人種シュメール[註]がユダヤの一部を成すならば、それは即可能だが

シュメールのバビロニアと

セムのアッシリアと

セムのイスラエル王国・ユダヤ王国と

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&rlz=1C1AVNA_enJP581JP581&espv=2&biw=1280&bih=580&tbm=isch&imgil=Kvff53bs-sh4NM%253A%253BCqLyGQ3EdtWCqM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fwww.aqast.net%25252Fjapan24-orient.html&source=iu&pf=m&fir=Kvff53bs-sh4NM%253A%252CCqLyGQ3EdtWCqM%252C_&usg=__ajQtf088Hmh8pE6zgKrofDO9Kxk%3D#imgrc=Kvff53bs-sh4NM%3A 

が併存していた時期が有り

ストレートにそうしてしまう事は難しいと考えられる。

 

[註]:何故シュメールが日本列島原住民であったと断じるかというと、日本の神社の裏手には決まって「アタハバキ神」という神が祭られるが、「アラハバキ」という言葉を古代セム語に今日最も近いアラビヤ語(古代セム語に最も近いのは現在イスラエルで喋られているヘブライ語ではなくアラビヤ語である。)により解釈すると、「アラッハ」はアラーの神様の意であり、「アバック」とは奴隷の意であるからである。日本にメソポタミアから戻って来たセム化したシュメールの王朝は、メソポタミアに行かずに日本列島に留まっていたシュメールである物部氏に出雲大社の祭祀を任せていたが、百済から来襲した天皇一族に最終的には敗れ、日本神道は出雲大社ではなく伊勢神宮の下に再組織化された。天皇一族はこの時、日本列島原住民を全て斬って捨てる訳には行かず、従属させて支配したのであり、その象徴として列島原住民の神をアラハバキ神として、伊勢神宮系の神社の裏手に祭ったのである。

 

しかしアイヌ[註1]との混血シュメール人[註2]のメソポタミヤ文明開闢はノアの大洪水より前なのだから、そしてYAP遺伝子とはユダヤ人とアイヌ・縄文系日本人にのみ共通であるのだから、アイヌと混血したアルタイ語族黄色人種シュメールが多民族混成セム族の根幹を成したという理論構成は充分に可能である。

 

[註1]:今日のアイヌは弥生人と混血してしまっていて、純粋アイヌは非常に少ないため、アイヌ人とはアジア人のようなイメージを持っている方々が多いかもしれないが、明治の初期にヨーロッパから遣って来た人類学者達は長頭で、額が秀でていて、鼻幅が狭く、鼻が根元から高く尖っていて、目尻が下がり、手足が長く、肌の色が白く、毛深いアイヌ人をヨーロッパ系と見做した。実はアイヌ人はムー大陸系白人である。その頭蓋骨の形は、ムー大陸であろうが、ヨーロッパ大陸であろうが、アトランティス大陸であろうが何処の大陸で発生しようが、北国で日中水平方向からの日光を受けて眩しいから横を向いた結果形成された物である。人間の頭蓋骨は日光の入射方向に直角の平面方向に成長する特性を持っている。赤道直下の黒人は頭の天辺が平らで、頭の上に物を載せて運ぶ事が出来る。温帯の黄色人種は斜め上から日光を浴びる為に、鼻の根本が低く、頭の天辺が尖っていて物を載せて運ぶ事が出来ない。

 

[註2]:何故日本列島から出かけて行った黄色人種シュメールがアイヌと混血していたと考えるかと言うと、メソポタミアに着いたばかりのシュメールはヨーロッパ人顔負けくらいに目が大きい身体的特徴を有していたからである。

 

そこでYAP遺伝子有り無しを基に、また、古代イスラエル・ユダヤは多民族国家という考えを基にして、古代イスラエル・ユダヤ多民族国家のアイヌと混血したシュメールとその他の民族の構成について論じる。

 

http://d.hatena.ne.jp/boogierock/20100528/1275053430 

パレスチナ人こそ真のユダヤ人

https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&rlz=1C1AVNA_enJP581JP581&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%A4%E4%BA%BA 

アラブ人こそ真のユダヤ人。

 

古代セム語に今日最も近い言語はヘブライ語であろうと思われがちであるが、実はアラビヤ語が古代セム語に最も近い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%B4%BE 

ここに「アラブ人こそ似非ユダヤ人でない本当のユダヤ人」の説が主張される確かな根拠が有る。そして現在イスラエルで話されているヘブライ語は似非ユダヤ語ということとなる。

 

アッシリア人(イエス・キリストもアッシリア人[註])がアラブ人の祖先で

 

イスラム教は人種としての真のユダヤ人の、タルムードでない真のユダヤ教を今日的に継承した宗教である。

 

[註]:イエス・キリストはアッシリア人で母語はセム語の一種のアラム語であった。十字架に掛けられて死ぬ瞬間に叫んだ「エロイ!エロイ!ラマ サバクタニー?!」(「我が神よ!我が神よ!何故私を見捨て給おたか!?」の「エロイ」の「イ」يは英語で言えばmyに当たり、「ラマ」はアラビヤ語で言えばلماذ(発音は”リマーザ”)となり、英語で言うとfor what, whyの意味になり、「サバクタニー」の「ニー」نيは英語で言うとmeに当たる)はアラム語であって白人支配階級のヘブライ語でなかったために、処刑場で周りに詰めていた刑の執行官等は何と言っているのか分からなかった、と新約聖書には書いて有る。イエス・キリストの母親のマリアがアッシリア人であった。

 

ゲルマン人モーゼのタルムード・ユダヤ教[註]はムー大陸系白人ハンガリア人=ハザールの似非ユダヤ人のユダヤ教=邪教となった。モーゼはユダヤ人で有ったにも拘らずYAP遺伝子を持っていなかった。それはモーゼがアイヌの血を引いていなかったからであり、人種的に似非ユダヤ人だったからであった。

 

[註]:タルムード・ユダヤ教の“ユダヤ選民思想”と白人至上主義とは同根である。モーゼ自身が白人至上主義者であった。

 

日本からアイヌ人と混住していた日本の原住民のシュメール人(シュメール語はアルタイ語族)が中東に赴いてメソポタミア文明を開闢した。

 

アッシリア系ユダヤ人とはアイヌ人である。

 

アイヌ語はヨーロッパに分散しているフィンランド語、ハンガリア語、エストニア語、バスク語、チェチェン語、グリジア語と同じウラル語族に属する。これは7万4千年前にインドネシアのトバ湖が火山大爆発を起こした時に海中に沈んだムー大陸から北方に逃げた白人ウラル語族が、アイヌ人のみアジアに残して北極を越えてヨーロッパに移住した事に依っている。

 

シュメール人とこのアッシリア系ユダヤ人=アイヌ人とは、ムー大陸が沈んだ時、他のウラル語族達と一緒に北極を越えようとして、一度北極の穴に図らずも入り、地軸の周りの負の誘電率・負の透磁率の地中円筒空間の時間がゆったり進む温暖なる気候の世界を見聞して来て高度の知識・学習能力を得てから、穴から出て、シュメールは日本に引き返して暫く日本列島のアイヌと混住してからメソポタミアに向けて船出してメソポタミヤ文明を開闢し、他方、北極の穴から出たアイヌ人は日本に向かう事無く、アッシリア系ユダヤ人=アイヌ人として北極からカフカーズ山脈を経てカナーンの地に至った。

 

ノアの黒人の息子ハムとは、ムー大陸沈没の時に南西に向けて脱出したドラビダ語族が更に西に進んで、古代エジプトのハム語族に進化した人種としてイスラエル・ユダヤ民族国家に加わり、その構成員を成した。

 

古代イスラエル・ユダヤ王国とは元は全てムー大陸で発生しそれぞれ別の経路でカナーンの地に遣って来た黒人・黄色人種・白人から成る多民族国家であった。

 

その中、元ムー大陸出身の白人であったが、北極の穴経由でユダヤの地に遣って来たウラル語族、就中ハンガリア人[註]がノアの白人の息子の「ヤペテ」であり、白人モーゼを輩出し、ゲルマン民族へと突然変異し、ユダヤ王国滅亡後、東欧に赴き、同じく元はムー大陸出身の白人であり東欧に留まっていたハンガリア人を改宗させてそのハンガリア人と共にハザール帝国を成した。

 

[註]:元ムー大陸出身の白人であるウラル語族、就中、ハンガリー語には現ヨーロッパ語と同じく、人称に基づく動詞活用、名詞・形容詞の格活用が有るのみならず、冠詞が有り、関係代名詞まで存在する。

ドイツ語の母音ö üはハンガリー語に由来する。

これは又、ドイツ人がユダヤ人から突然変異した人種なのにYAP遺伝子を持っていない原因を成す。

 

つまりヤペテ(=ゲルマンの先祖)であったモーゼは、ユダヤ人なのにYAP遺伝子を持っていなかった。

 

なぜなら古代ユダヤ・イスラエル王国は多民族国家であった。

ゲルマン民族がハンガリー・ヤペテ・ユダヤからの突然変異で発生した民族であって、アイヌ・セム・ユダヤから発生した民族でない結果、ゲルマン民族はユダヤから派生した民族で有るにも拘わらずYAP遺伝子を持っていない。ヤペテから突然変異したゲルマン民族の大半はゲルマニアの地に赴き宗教としてのユダヤ教を捨てた。

ハンガリー系とセファラディとの混血で発生したセム系黄色人種ケルト人はケルト語とはセム・ハム語で有るにも拘らずケルト人はYAP遺伝子を持っていない。ケルト人の大半はユダヤ教を捨ててヨーロッパ、ロシアの全域に散らばった。

冠詞を持たないアイヌ語に近いウラル語族のチェチェン語を話すチェチェン人から直接突然変異して発生したのがスラブ人、冠詞を持たないアイヌ語に近いウラル語族のバスク語を話すバスク人から直接突然変異して発生したのが古代ラテン人、後のローマ人である。

 

古代ラテン人の大半は、ルーマニア人をヨーロッパに残して、一時アトランンティス大陸に移住したが、紀元前2500年頃のノアの大洪水の時に、津波の水の重さでアトランティス大陸は水没した。それ以来、後のギリシャ人[註1]、ローマ人はヨーロッパ大陸に漂着して上陸しようとしたが果たせず、数百年の間「海の民」として海上を彷徨(さまよ)った。[註2]

 

[註1]:ギリシャの哲学者ソクラテスは、ギリシャ人がアトランティスから遣って来たと書き残している。

 

[註2]:バビロニア王国が滅亡し、シュメールがチグリス・ユーフラテス川の源流である現トルコのアナトリア地方に落ち延びて創ったヒッタイト王国[註2註]を攻め滅ぼしたのは、「海の民」のギリシャ人、ローマ人であった。

 

[註2註]:バビロニア王国が滅亡したシュメール人が落ち延びたアナトリア地方と違ったもう一つの地が日本の九州であった。一万年以上前から文字を持っていたシュメールは彼等のバビロニア第1王朝が攻め滅ぼされた時、数千年前の古文書を基に、元来た日本に海路戻ったのである。そして創った九州のシュメール王朝の最後の王子がヤマトタケルであった。メソポタミアの地に赴かず、その間ずうっと日本に留まり続け出雲大社を司ったシュメールが物部氏である。その当時、日本に於けるシュメールの拠点は九州と名古屋と三浦半島と石巻に有った。

 

ヒマラヤ山脈の西端のカイバル峠を越えて、ヨーロッパ人混成部隊のアーリア人がインド、パキスタン、アフガニスタン、イランに侵入した時、そのアーリア人の多数派はスラブ人で、2番目はゲルマン人、3番目が古代ラテン人であった。このアーリア混成部隊に含まれていた古代ラテン人はアトランティスへ移住しないでヨーロッパに残っていたルーマニア人であった。今日日本に伝わっている仏教用語で水垢(みず“アカ”)という言葉が有るが、これはラテン系の言葉aquaである。今日のヒンディ語には多くのスラブ語と語源を同じくする語彙が存在する。2番目のゲルマン人のゲルマン語はペルシャ語に引き継がれた。「イラン」とは「アーリアン」の意味である。

 

イスラエル・ユダヤ多民族国家の言語を調整する目的で人工的に創られた言語がセム語であった。セム語とは、全ての品詞は動詞から文法規則に則って創られ、全ての動詞は3子音から成り立つ、と言った具合に世界史上最高に整理された[註]、且つ最も大きな発展性を秘めた言語である。

 

[註]:斯くも文法的に整備された言語であるセム語は、現地球上で話されている言語の中で唯一context freeの言語である。

 

この人工的に自然言語を創り出した例は、全てセム語に関わっている。アフリカのスワヒリ語、アフガニスタンのパシュトー語(人種的にはユダヤ人であるパシュトゥン人がペルシャ語を改竄して創った言語)、日本語(百済語にセム語の音声学を取り入れて改変した言語)[註1][註2]が有る。

 

[註1]:平成天皇が何年か前に韓国に言った時に「韓国と日本は昔から縁が深く、桓武天皇の母親は百済から嫁入りした。」と語った。その時代、日本の宮廷内では、百済語が問題なく通じていた。

 

[註2]:日本語と文法が98%同じ朝鮮韓国語には

子音のKやlで終わる単語が有り、nやngで終わる単語が有る。

アラビヤ語のように、日本語には子音で終わる単語は存在せず、ngで終わる単語も無い。

韓国語にはアルタイ語族トルコ語の持つeoやaeのような中間音が有るが、

a,i,uしか母音が存在しないアラビヤ語に似て日本語にはa,i,u,e,o以外に母音は存在しない。

日本語にはアラビヤ語と同じくhattaと二重子音で明確に区切る発声が有る。朝鮮韓国語の二重子音は好い加減である。

<[註]は以上>

 

元々アイヌの遺伝子であったYAP遺伝子は、このアッシリア系ユダヤ人=アイヌ人とアイヌ混血シュメール人によって中東に齎された。

 

ハム系の古代エジプト人(今日のその末裔のソマリア人)やセファラディーに占領されたスペインにYAP遺伝子が見られないのは、ハムの源流とはムー大陸から南西に逃げたドラビダであるからで、ムー大陸から北西に逃げたアイヌが混じっていないからである。

 

日本のシュメールに中東へ行くことを促したのは、アッシリア系ユダヤ人=アイヌ人と連絡を取り合っていた日本在住のアイヌ人達であった。

 

日本の天皇一族は元々は百済人であったが、バビロニア帝国が滅ぼされた後、セム化して日本に戻って来ていたシュメール+アッシリア系セムの九州王朝(ヤマトタケルはその最期の王子)を滅ぼすことにより、ユダヤの血と混血した血統である。また聖徳太子の時代に後秦を経て新羅経由で日本に遣って来たユダヤの失われた10氏族の一つの秦一族も、天皇一族の血統に混じっている。少なくとも5か国語を喋り、その同時通訳も出来た聖徳太子の相談役となった天狗の様に高い鼻の秦河勝の顔を象った面が今日も残っている。

 

中世にはセファラディー・アラビヤ人イスラム教徒がスペインに居た。

 

レコンキスタでセファラディー・アラビヤ人イスラムはグラナダから海に攻め落された。

 

その後、スペイン王朝に巣食ったのはフェニキヤ(ハンガリー系のヤペテ)の流れを汲むユダヤ人であってセファラディーではない。

 

このフェニキヤ系ユダヤ人と東欧のハザールとは厳密には別物だが、歴史的にはこの二つがオランダで合流する。ハプスブルグ家等もフェニキアとハザールの融合である。

 

東の方のアラビヤ人イスラム教徒達、就中パレスチナ人は、アイヌ混血シュメールや古代アッシリアのアイヌとセファラディの先祖のハムの両方の血を引く純粋セム人の末裔である。

 

Mendelssohn - Violin Concerto Op. 64, Isaac Stern 

https://www.youtube.com/watch?v=gSbfsJJUEpk

 

以上

 

[追伸]:佐野千遥が書いたスミルノフ物理学の文献、生命物理学・健康の文献、語学即聞即答訓練教材に御興味をお持ちの方は、本ブログ・ページ左上の方のブックマークの下から2番目の項目の「ドクター佐野千遥の講座の資料請求窓口」から「スミルノフ物理学」「生命物理学・健康」「語学即聞即答訓練教材」をご指定して申請ください。又、「即聞即答訓練」に基づき英語、仏語、露語、アラビヤ語の生徒を募集しますので、上記ブックマークの下から2番目の項目から申請して下さい。又、美しいメロディーのクラッシックを弾く為にバイオリンを習いたい方は、同じ窓口から申請して下さい。

 


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