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アメリカ独立宣言の法源のジョンロックの自然法理論を批判する!Dr佐野千遥

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スミルノフ物理学から導き出されたスミルノフ社会科学体系による自然法理論の批判:Dr佐野千遥

 

先ず読者の皆さんには、アメリカ独立宣言(ジョージ・ワシントン)と、その法源のジョン・ロックの自然法理論が、知の神・愛の神・正義の神の神の物理学的存在証明が出来るスミルノフ物理学から導かれた主客合一を実現したスミルノフ社会科学体系に基づくスミルノフ自然法理論から見ると大混乱・大誤謬に陥っている事を篤と鑑賞してみることをお薦めする。

 

引用が長すぎて、読むのが飽きてしまう方は、引用部分を読む事は程々にして、各引用直後の私のコメントと“スミルノフ自然法理論からアメリカ独立宣言(ジョージ・ワシントン)の法源のジョン・ロックの自然法理論を批判す”の章に進んで読まれる事をお薦めする。

 

アメリカ独立宣言

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80#.E5.86.85.E5.AE.B9 

 

<以下アメリカ独立宣言wikipedia から引用>

 

“「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。その理論は、名誉革命を理論的に正当化したジョン・ロックの自然法理論の流れを汲む。”

 

<アメリカ独立宣言wikipedia から引用は以上>

 

インディアン達を人間ではないからと、大虐殺を行った白人植民地主義者の“アメリカ独立宣言”は空々しい限りであるが、更に非常に知能指数が髙かったとされるジョン・ロックなる人物の社会科学理論とジョン・ロックの自然法理論に付いて引用しよう。

 

先ずジョン・ロックなる人物の社会科学理論から引用する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF 

 

<以下にジョン・ロックwikipediaから引用する>

 

“哲学[編集]

ロックの認識論によれば、われわれの心はいわば白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起原はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。そして、観念の起源は外的な感覚(sensation)と内的な反省(reflection)とに区分される。さらに、経験から得られたこれ以上分解できない「単純観念」からは「複雑観念」(様態・実態・関係)が複数の原子の結合から分子が作られるかのように形成され、我々の知識とは経験から得られた諸観念の結合と一致・不一致と背反であるとされた。

 

また、彼は物体の性質は外物に由来する客観的な「第一性質」(primary quality、固性・延長性・形状等)と、主観的な「第二性質」(secondary quality、色味香等)とに区分し[6]、知られるのは後者のみであるとした。しかし、彼はそれですら完全には知りえないとした。即ち、我々はあくまで経験的、実験的に外的事物の観念を得る以上、既知の性質はそれによって判明したもののみであって、本来的にどれだけの性質がそのものに属しているかは分からず、全ての性質を遺漏なく知ることはできない。

 

このようにロックは経験主義を唱え、経験論の代表的人物の一人に数えられるが、彼は経験はあくまで観念の供給源でしかないとみなしており、その点では彼の哲学における経験の役割は限定的である。”

 

“政治学、法学[編集]

彼は、社会契約説によって、ロバート・フィルマーの家父長的な政治理論に基づく王権神授説を否定し、自然状態を「牧歌的・平和的状態」と捉えて、公権力に対して個人の優位を主張した。自然状態下(State of Nature)において、人は全て公平に、生命(life)、健康(health)、自由(liberty)、財産(所有- Possessions)の諸権利を有する[7]。誰もが自由であり、誰もが他の者の諸権利に関与する権限はない。しかしそうなってしまうと、今度はこの自然状態が故に不都合が生じてしまう。たとえ犯罪が起きようと、誰もその犯罪者を逮捕、拘束できず、そして裁くこともできない。また、仮にある人間が判事を勤めても、近親者の犯した犯罪の場合、人間がいかに公正無私に判断を下せるか疑問を呈した。つまり、自然状態の不都合により、社会が混沌としてしまうとロックは考えたのである。そのためにロックは我々自身をこの不都合な自然状態から守るために、政府が必要だと考えた。政府は諸国民の「承認」によって設立されるとした。諸国民のこの三権を守るために存在し、この諸国民との契約によってのみ存在する。我々は我々の保有する各個の自然権を一部放棄することで、政府に社会の秩序を守るための力を与えたのである。言い換えれば、政府に我々の自然状態下における諸権利に対する介入を認めたのである。

 

政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた[8]。抵抗権の考え方はのちにヴァージニア権利章典に受け継がれていく。

 

その他にも政教分離を説くなど、現実主義的な考えを展開している。

 

ロックの権力分立論は、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させたものであるが、社会契約論とも密接に結び付いている。国家は「始源的契約」(original compact)によって成立したものであるが、政府は、自然権を保障するため、人民の信託に基づき設立されたものであるから、社会契約には一定の「契約の条件」があり、自然権を保証するための手段として権力分立を採用しなければならないとしたのである。ロックは、立法権と行政権の分離を説き、対内的な立法権を執行権、対外的な行政権を外交権(連合権)と呼んだが、ロックの権力分立論は各権が平等でなく、立法権を有する国会が最高権を有するものとされ、名誉革命に基づく現実的な立憲君主制を擁護するための理論であった。

 

これがのちのモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)にまで発展する。”

 

“経済学[編集]

労働価値説の源泉といわれるジョン・ロックの労働説では、当人の所有物となるのは当人の労働の果実として自然界の共有物から切り離されたものであるといわれ、必要の限度を超えた財産の私有は、貯蔵を可能とするところの貨幣の価値に承認を与える社会契約にその根拠を有するとされた。”

 

<ジョン・ロックwikipediaからの引用は以上>

 

ジョン・ロックの経済学理論は明らかにアダム・スミスの経済学理論に劣っているので、先の章で経済学を批判する時にはアダム・スミスの経済学を根底的全面的に完膚なきまでに批判し尽くす事とする。

 

又、国家権力とは支配階級による階級支配暴力の事で有り、法治国家に於ける法律とは、国家の原罪とも言うべき階級支配暴力を、真の自然法ならざるジョン・ロック等が考えたカッコ付“自然法”や表層的形式的近代法を巡る立法・司法・行政の三権分立に依っては全く阻む事が出来ない事、支配階級と被支配階級への社会の分裂を無視してのっぺらぼうに社会を捉えた“社会科学”では道義性倫理学に付き、歯の浮くような理論しか導けない事を先ず指摘して置こう。

 

ではジョン・ロックの自然法理論の詳細を見て見よう。

 

自然法理論

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95#.E6.B3.95.E6.BA.90.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E7.A5.9E 

 

<以下自然法理論wikipediaから引用>

 

“法源としての神[編集]

 

神が人間の自然本性の作り手として想定されるとき、自然法の究極の法源は神となる。このことは理性にもあてはまり、神が人間に理性を与えたことが強調されるときは、合理的な法としての自然法の究極な法源もまた神となる。この傾向は特にキリスト教の自然法論において顕著である。例えば、アウグスティヌスにとって、自然法の法源は神の理性ないし意思であった[2][3]。また、トマス・アキナスにとって、自然法とは宇宙を支配する神の理念たる永久法の一部である[4][5]。

 

法源としての自然[編集]

ここで自然とは、自然本性一般のことではなく、外的な自然環境のことである。外的な自然が自然法の法源となるのは、専ら外的な自然環境と人間の自然本性との連続性が強調されるときである。これはとりわけヘラクレイトスおよびストア派の自然法論において見られ、そこでは自然学と倫理学とが連続性を保っている。このような場合には、自然法則と自然法がほとんど同義で語られることが多く、何らかの傾向性(例えば結婚は普通雌雄で行われることなど)が自然法とされることもある。”

 

“自然法とは、自然が全ての動物に教えた法である。なぜなら、この法は、人類のみに固有のものではなく、陸海に生きる全ての動物および空中の鳥類にも共通しているからである。雌雄の結合、すなわち人類におけるいわゆる婚姻は、実際にこの法にもとづく。子供の出生や養育もそうである。なぜなら、私が認めるところによれば、動物一般が、たとえ野獣であっても、自然法の知識を与えられているからである。

— 『学説彙纂』第1巻第1章第1法文第3項”

 

“人間の自然本性を理性的であると解する立場から見れば、理性もまた自然法の法源となる。特に理性を自然法の法源として独立させたのは、近世自然法論者たちである。彼らは自然法を正しい理性の命令と定義して、神的な要素をそこから取り除いている。純粋に理性が自然法の法源となるときには、自然法は実定法以外の合理的な法を意味する。この特徴はとりわけホッブズに見られ、彼は自然法を、単に人間が合理的に思考し、その自然本性としての死への恐怖にもとづいて意思が受け入れるであろう法と解している。”

 

“自然法の認識原理[編集]

自然法の法源が制定法や判例法でない以上、その認識手段が常に問題となる。基本的に、自然法の認識原理は、その法源の種類にかかわらず理性であると言われる。すなわち、自然法が超自然的な存在によって作られたものであろうとなかろうと、それを発見するのは人間の理性である。理性が人間の自然本性である以上、合理的思考は自然法の認識にとって不可欠となる。ストア派にとって倫理学は論理学と自然学の上に成り立つものであり、密接不可分である[7]。”

 

“義務は次のように定義される。「生における整合的なことで、それが実行されたときに合理的に説明されることである」。これとは反対のことは義務に反することである。これは、非ロゴス的な動物にも及ぶ。なぜなら、それらも、それ自身の自然本性と整合的な何らかの働きをしているからである。理性的な動物の場合は、次のように説明される。「生における整合的なこと」。

— ストバイオス『抜粋集』第2巻7-8”   

 

“これに対して、自然法が人間には直接的には認識不可能であるという立場からは、何らかの補助手段を用いることが要求される。その場合、キリスト教の自然法論は、神からの啓示を重視する。それは、専ら新約聖書および旧約聖書から得られる指図である。典型的な啓示は、モーセの十戒である。”

 

<自然法理論wikipediaからの引用は以上>

 

斯くてユダヤ人選民思想=白人至上主義の白人モーゼが造ったタルムード・ユダヤ教に行き着いた大混乱のヨーロッパ近世自然法理論を、知の神・愛の神・正義の神の物理学的存在証明が出来るスミルノフ物理学から導かれたスミルノフ自然法理論から根底的且つ全面的に完膚なきまでに以下に一刀両断に科学論文として批判し尽くす事とする

                                                   

自然法理論とは宇宙の法、自然の法、人類の法は単一の法=神であるという考えから当初は出発しており、この枠組みはイスラム教のコーランの枠組みでも有り、今日、単一の知の神、社会的愛の神、社会正義の神の存在証明を物理学的に出来るスミルノフ物理学 - スミルノフ生命物理学 - 主客合一したスミルノフ社会科学体系により実現している。

 

しかし欧米文明に於ける自然法理論の枠組みである宇宙の法、自然の法、人類の法は単一の神であるという考えには決定的齟齬が有る。

 

そもそも彼等の現代物理学は宇宙の法、自然の法を全く捉えておらず、ましてや人類の法が宇宙の法、自然の法と同一同質の法=神である事を全く論証する志向性を物理学の側でも、社会科学の側でも完全に見失い、喪失してしまって居る。

 

であるから、それに更に資本主義的利害打算が絡んで、又、アメリカインディアン達を人類でないから殺戮しようが罪に問われないとの白人達の選民思想も絡んで、アメリカ独立宣言の“自由と民主主義”の民主主義は社会悪の根源である支配階級の民主主義でしかない。

 

そしてその結果、現に、アメリカ帝国主義はFEMAやグアンタナモ強制収容所に於ける反体制派やイスラム教徒達に対する拷問・臓器摘出・殺戮を秘密裏に行う悍ましい存在と化してる。

 

スミルノフ社会科学体系は知の神・愛の神・正義の神の唯一神の物理学存在証明の上に導かれたのである。

 

“ストア派にとって倫理学は論理学と自然学の上に成り立つものであり、密接不可分である”

に有る「論理学」はニュートンの動的作用反作用の法則が因果律の連鎖を表した物であることからその記述がが論理学と自然学の上に同時に成り立つ事は論証・保証されている。

 

倫理学つまり正義の問題は

 

ニュートンの動的作用反作用の法則

F1 * v1 = - F2 * v2  (Fは力、vは速度)

とその相対論的バージョン

m * (c – v) = m0 * c (mは質量、cは光速度、vは粒子の直線速度、m0は静止質量)

 

を見比べて、正義とは孫子の兵法=逆説的戦争戦略論の「風林火山」の特性を持っている事、

すなわち

 

走る事ハヤテのごとく = v1 →大のc

(アカシック・レコードから集めた大量の体系的情報から瞬時に社会悪を認識)

 

静かなる事、林の如く = (c – v1) → 0

(正義の側に立つ者の心は平安に満ちている)

 

攻める事、火の如く  = F2 → 極大

(悪に対する徹底した攻撃)

 

動かざる事、山の如し = m → ∞

(逆況に置かれても動揺しない)

 

そして

物質的利徳に反しても正義を貫徹することが美しいと感じる事 = F1 → 極小

 

により正義の神の存在証明をニュートンの動的作用反作用の法則の関係式自体から導くスミルノフ物理学に依っている。

 

そうであるから、“宇宙の自然と人間の自然との連続性”が厳密物理学的に論証されており

 

人間が動物・獣と同じに成ってしまっては困る

 

“ここで自然とは、自然本性一般のことではなく、外的な自然環境のことである。外的な自然が自然法の法源となるのは、専ら外的な自然環境と人間の自然本性との連続性が強調されるときである。”

 

と考えて、色々な制約を自然=神に付ける必要は全く無く、

 

また

 

“人間の自然本性を理性的であると解する立場から見れば、理性もまた自然法の法源となる。特に理性を自然法の法源として独立させたのは、近世自然法論者たちである。彼らは自然法を正しい理性の命令と定義して、神的な要素をそこから取り除いている。純粋に理性が自然法の法源となるときには、自然法は実定法以外の合理的な法を意味する。この特徴はとりわけホッブズに見られ、彼は自然法を、単に人間が合理的に思考し、その自然本性としての死への恐怖にもとづいて意思が受け入れるであろう法と解している。”

 

のように“理性を自然法の法源として(神から)独立させ”れば、未来永劫にその理性と“自然法”なる物は主客合一が不可能な主観に陥った理性と自然法となる。

 

民主主義に代わる第三の道 =国家権力消滅に向けたプロセスと自由

 

結局アナーキズム的レーニン主義がレーニンの暗殺未遂、白軍・外国軍による四方八方からの戦争挑発の中で、国家主義的スターリニズムに圧倒されて行ったロシア革命の経過を見る時、

 

プロレタリア独裁時に於ける基準は革命政権に反対するか賛同するかではない。

 

被支配階級民衆の社会正義・社会的愛に反対するか賛同するかである。

 

被支配階級民衆の社会正義・社会的愛に反対するする個人や団体や政治勢力は徹底的に批判し打倒すべきである。

 

被支配階級民衆の社会正義・社会的愛の為に活動する個人や団体や政治勢力には、少々その思想表現を異にしていたとしても出版・結社・集会・言論の自由を保障するべきである。

 

しかし被支配階級民衆の世界解放軍は敏速且つ的確且つ強力に行動しなければならない。

 

この様な結論に至る時に参考にしたのは、バクーニンのマルクス批判と、正しい事も誤った事もまぜこぜに言っているローザ・ルクセンブルグの「ロシア10月革命とレーニン批判」である。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF 

 

<以下引用>

 

“ローザ・ルクセンブルクのロシア革命・レーニン批判

 

ロシア革命以前からローザはレーニンの前衛党論に反対していた(1904年にレーニンの発表した『一歩前進二歩後退』への批判に始まる。議会主義への態度をめぐって対立していたカウツキーともこの点においては一致していた)。批判の第一は革命後の独裁(プロレタリアート独裁)のあり方・解釈についてである。プロレタリア独裁とは階級の独裁であって一党一派の独裁ではないと主張したローザは、革命後における民主的自由を擁護する立場を取った。批判の第二は、運動組織原則(レーニンの前衛党論)に対してであった。革命は自然発生的でなければならないと考えたのも、前衛党論批判の理由の一つであった。

獄中にいた1917年、レーニンを指導者とするボリシェヴィキによってソビエト政権が樹立された十月革命の報に接するや、レーニンの前衛党論を改めて論難し、実際の十月革命が自然発生的でないことや革命後の民主的自由が危ういことなどを指摘、ボリシェヴィキが新たな独裁を生むだろうと予言し獄中から警句を発した。

具体的には、ボリシェヴィキによる憲法制定会議の解散を批判し、「搾取者」(すなわち革命政府への反対者)にも選挙権を与えるべきであること、出版・結社・集会・言論の自由を保障するべきであることを批判した。ローザの有名な言葉「Freiheit ist immer die Freiheit des Andersdenkenden.(自由とはつねに、思想を異にする者のための自由である)」はこうした文脈のもとに書かれたものである。これらの批判は死後、弟子によって出版されたが、ローザ本人の確認を経ていないことから、ローザの真意が記されているわけではないと旧ソ連は批判していた。

ドイツ革命[編集]

1917年にアメリカが参戦したころ、スパルタクス団はやはり戦争反対の立場からSPDを脱退したカウツキーらによって結成された独立社会民主党(USPD)と合流する。1918年11月4日に起きたキール軍港における水兵の反乱およびロシア革命時のソビエトに倣った「労働者・兵士協議会(レーテ)」の結成が引き金となってドイツ革命が勃発し、同9日に皇帝が廃位されると(同日ローザも釈放される)、USPDは勢力を拡大したSPDとともに共和政の新政府を樹立する(首班はエーベルト、革命後のヴァイマル共和国である)。

 

ブレスラウの刑務所から釈放されたローザは、すでに釈放されていたリープクネヒトとともにスパルクス団を再編し、機関紙『Die Rote Fahne(赤旗)』を発刊した。同紙で書かれた最初の論文では、すべての政治犯に対する特赦と死刑制度の廃止を要求した。

 

一方、USPDら急進派を快く思わないエーベルトは軍部と手を組むことを選んでいた。この協定により、革命で崩壊しかけた国軍の残党や国家主義者、右翼らによる反革命義勇軍(フライコール)が創設され、やがて革命派に対する武力鎮圧が始まる。あくまでも穏健な社会民主主義に拘泥した結果である。USPDは当然これに強く抗議して連立政府から撤退する。1918年末にスパルタクス団はUSPDから再度分離し、その他の社会主義者や共産主義者のグループと連合。12月29日から翌1919年1月1日にかけて開かれた創設大会をもって、ついにローザとリープクネヒトを指導者とするドイツ共産党(KPD)が誕生する。

 

東ベルリンにあるローザ・ルクセンブルク像

ローザはのちにヴァイマル共和国議会となる全国憲法制定議会との関係を保っていたが、選挙に勝つことはできなかった。この1月、ドイツ革命は新たな局面を迎える。ローザが『Die Rote Fahne(赤旗)』の巻頭論文で反乱軍に対しリベラルな新聞の編集部を占拠するよう示唆したのと前後して、各地の主要施設が武装した労働者をはじめとする革命軍によって占拠されたため、エーベルトのSPD政府はフライコールを出動させて革命軍への弾圧を本格化したのである。1月9日から15日にかけての激しい戦闘でスパルクス団ほかの革命軍は壊滅、レーテも解体されてゆく。

 

ローザとリープクネヒトは1月15日にベルリンでフライコールに逮捕され、数百人の同志と同様に2人とも殺害された。リープクネヒトは後頭部を撃たれて身元不明の死体置き場へ運ばれ、ローザは銃床で殴り殺されて近くの川に投げ捨てられた。ローザの死体は6ヶ月ものあいだ放置され、拾い上げられたときには識別困難であったという。その後、遺体はNSDAP(ナチス)政権により暴かれて所在不明となってしまった。2009年5月、ベルリンのシャリテ病院で身体的特徴がローザのものと一致する首の無い遺体が発見され、現在調査中[1]だと報じられた(NSDAPによる墓暴きもこの時に判明した)”

 

<引用は以上>

 

ルクセンブルグは“革命は自然発生的でなければならない。”とか“レーニンの前衛党批判”とか言って組織的行動力に欠けていたからワイマール憲法を準備していた社会党に虐殺されてしまったのである。世界解放戦争を遂行する政治軍隊中枢は首尾一貫した組織論で組織すべきであり敏速且つ強力に行動できなければならないのである。

ルクセンブルグがカウツキーとこの点では同じ立場に立って“「搾取者」(すなわち革命政府への反対者)にも選挙権を与えるべきであること、出版・結社・集会・言論の自由を保障するべきであることを批判した”のは全く以ってナンセンスである。白軍と対決する戦時に於いてその様な事をすれば、直ちに内戦で味方は殲滅・全滅される戦争の現実をルクセンブルグは全く理解して居なかった。

但しルクセンブルグがロシア革命が一党独裁の方向へ行く危険が有ると警告した点は、レーニンの意志に反して実際スターリンがそうしてしまったのだから、非常に洞察力に富んだ先見の明が有った事は確かである。

 

ワイマール憲法批判

 

“ドイツ民族は、その諸部族の一致のもとに、かつ、ライヒを自由と正義とにおいて新しくかつ確固たるものにし、国内国外の平和に奉仕し、そして社会の進歩を促進せんとする意思に心満たされて,この憲法を自らに与えた。”

 

“当時は世界で最も民主的な憲法とされ、第1条では国民主権を規定している。”

 

これも被支配階級民衆の社会正義と言って居らず、支配階級を「国民」の中に含めた“国民主権”と言って支配階級が被支配階級に対して振う強権を是認してしまっており、支配階級の自由、支配階級にとって都合のよい“正義”、支配階級の利害に基づいた和平、帝国主義国家経済社会の進歩、支配階級の支配階級による支配階級の為の民主主義しか規定して居ない。

 

スターリンは1936年スターリン憲法により、恐怖政治の独裁者スターリンの2つ目の顔である“平和と民主主義”を対外的に宣伝しようとしただけであって、このスターリン憲法成立以降も、ソ連邦内では如何なる一党体制緩和は行われなかったし、ドゥーマが再開される事も無かった。但しトロツキーの「議会制民主主義とは支配階級の民主主義でしかない」とする批判は順当であり、議会制民主主義に参加する事は本格的社会変革に向けてのその時々の情況に依存しての一時的戦術手段でしかなく戦略手段ではない事は確認すべきである。

 

而も、ソ連邦一国を護る為に世界中の国々にスターリニスト共産党を配備した一国主義者スターリンがソ連邦以外を“平和と民主主義”の理念で腑抜けにする目的で提起したのが1936年スターリン憲法であり、戦略論議をさせないで支配階級の支配階級による支配階級の為の議会制民主主義の政治をソ連邦以外の全世界の諸国に広める為に提起されたのがスターリンの悪意有る“平和と民主主義”のメッセージであったのである。

 

アナーキー的アレクサンドル・ケレンスキーはロシア帝国や連邦制を嫌い、共同体の連帯運動組織による共和制を主張し1917年9月には国号を「ロシア共和国」に変えている。これは悲劇なのだが、更にアナーキー的なエスエル党員達に、社会主義を標榜する農村共同体の連帯運動を超えて「共和制」更には「共和国」に「国」の称号を付けた事を批判された。[註1]、[註2]

 

[註1]:ロシア10月革命当初、レーニンはロシア革命で連邦政府国家を樹立する事を主張したスターリンと対立して、ロシア革命を共同体の連帯運動に止めるべきと主張し、「国」の名前を冠する積りも無かった。この事は、アナーキスト・エスエル党員達の認識と酷似していた。

 

[註2]:又後に、スターリンが“共産党一党独裁”を主張した時、レーニンは「プロレリアート独裁」を主張してスターリンと対決したのだが、レーニンの「プロレタリアート独裁」とは彼の定義によれば「全権力をソビエトへ!」という意味で有った。「ソビエト」ロシア語の「совет」(ドイツ語の「Räte」)とは「アドバイス委員会」以上の意味を持っていなかったのである。レーニンはそれまでの支配階級の悪党どもを排除する必要から「全権力をソビエトへ!」=「プロレタリア独裁」を一時的手法として主張したのであって、支配階級の階級支配暴力である国家権力とは暴力的本質を原罪の如く持っている存在と認識していたレーニンは、ロシア革命の当初は一時的「プロレタリア独裁」の後は国家の廃絶を標榜していたのであり、又、その為にも貨幣の廃絶をもマルクスを超えて実施したのである。

 

であるからエイブラハム・リンカーンの「人民の人民に因る人民の為の政治」とは「人民」なる語を「被支配階級民衆」で置き換えて「被支配階級民衆の被支配階級民衆による被支配階級民衆の為の政治!」とするのならレーニンのプロレタリア独裁と同じ事・同じ意味になるのである。

 

こうして見て来ると、アメリカ帝国主義の「自由と民主主義」の“民主主義”でもなく、スターリンの“平和と民主主義”の“民主主義”でもない、民主主義に代わる「民主主義は国家暴力を阻む事が出来ない」という国家原罪論[註]を踏まえた国家死滅に向けた被支配階級民衆の被支配階級民衆による被支配階級民衆の為の政治のプロセスが不可欠である事が分かる。言い換えるのならレーニンの「プロレタリア独裁」=奴隷解放のリンカーンの「人民の人民に因る人民に因る政治」=「被支配階級民衆の被支配階級民衆による被支配階級民衆の為の政治」自体が「プロレタリア独裁」の一時期の肥大した国家権力を死滅に向かわせる歴史的役割を演じる。

 

[註]:国家権力とは支配階級に因る階級支配暴力の事と定義される。法治国家に於ける法律とはその実は暴力的存在である国家権力の階級支配暴力を覆い隠す為の隠れ蓑でしかない。その似非法でしかない支配階級が自分達の為に造った法を巡っての三権:似非法を巡る立法、似非法を巡る司法、似非法を巡る行政による三権分立では国家暴力を全く阻む事が出来ないのは理の当然である。

 

以上


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