美学は科学の中に倫理・法学は美学の中に位置付けよ!スミルノフ学派Dr佐野千遥
ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遥
<お知らせ>:4月12日午後6時からヒカルランドにて佐野千遥博士の講演が催されます。今回のテーマは「私の健康法」と「いじめ」についてです。1980年来33年間、風邪・インフルエンザに罹った事が無く、20才以来の身長170センチ・体重53~54キロが現在65歳に至るも変わり無しで、癌を自力で完治させ、小学校2~3年の丸々2年間、集団暴行まで含めた酷いいじめを毎日受けた私が語ります。
私は金儲けの為にブログを書いている訳ではありません。この悪しき世を社会変革する為に書いております。若し貴方が、私のブログから金儲けの為の何らかのヒントを得られないものかと考えて読まれるとしたら、それは大変残念な事です。資本主義社会においては、どんなに本質的なブログを書いても多くの読者にはコピーライティング的技術力のみが評価され、本質的なブログの内容の真価は深く評価されぬまま直ぐに忘れ去られていく現実に有る点は口惜しく感じております。
原生林の樹木一本一本は人が決して真似できない個性を持った素晴らしい芸術作品である。
原生林の梢越しに空を眺める時、人は必ずある種の感慨に駆られる。
野花の咲き乱れる野山に人はこの世の楽園を見る。
抒情詩を書いてみました。
大自然の新緑の野山の草木たちよ!君達は何故如此も美しいのか?
来年はもうこの世に居ない事を予知しているかのように、君達の生涯においてもう二度とこの眼に眩いほどの新緑を母なる地球に燃え立たせる事がないであろうことを知っているかのように、早春の今、君達原生林の草木は今を限りの愛らしい崇高なる姿を私の眼に焼き付けている。
遣られても遣られても、人間達の為に飲み水を質量創造し、人間達が呼吸できるための酸素を質量創造して徹頭徹尾人間達に心底の愛情をもって尽くしてきた君達草木を、第二東名建設のため人間どもはこれから邪険に扱い、切り倒し殺そうとしている。
君達草木の崇高なる心が私の心を打つのだろう。君達の清い心の世界には物質的打算に基づく言論・思想統制、言論・思想弾圧も存在しない。
<抒情詩は以上>
「正統派」現代物理学を完全に論駁し尽くした我々スミルノフ学派の反エントロピー数理物理学は惑星の軌道半径、原子核の周りを回る軌道電子の軌道半径が悉く黄金比を成し、全物理学体系をメービウス変換、メービウス関数により関係付けられた単極磁石を唯一の素粒子として極美の秩序体系として構成できる事を発見し、福島原発の惨事に対し理論的に誤っている当然の結果として成す術を知らず右往左往するだけの「正統派」現代核物理学派を尻目に、セシウム、ストロンチウムの放射能はおろか原爆・原発核燃料ウラン、プルトニウム自体の陽子、中性子をも単極磁石により低温解体・昇華させる装置を考案・設計し、そのプロジェクトを開始する事で日本政府の説得に遂に成功し、また生命体の中枢には負の質量の単極磁石が存するとする生命物理学をも導き出した。これは正に科学に於ける美学である。
物理的全宇宙の歴史は、社会正義の美学、社会的愛の美学をも生まれながらにして認識できる人類を進化・発生せしめた。
男性美の極致は死を賭して正義のために断固として闘わんとする闘魂、負ける事が分かっていても尚も闘わんとする闘魂=武士道に有り、女性美の極致は女としての美人さにではなく母性愛にあると前に論じた。その何れもが物質世界を超えている。この道義的美学が美学全体の中枢を成す。そして美学=芸術は科学と別の物なのではなく、美学は科学の中に位置付けられねばならない。
しかしその人類が作った社会の歴史は、戦争と人殺しの連続の歴史と化した。
「人間と人間の物質的エゴのぶつかり合いを間に入って規則により調整する役割をするのが法律」という考え方が有るが、実際の資本主義の階級社会の法体系とはこのような公正無私な物では全く無い。
その人類社会は物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とし、条文による正義の定義をはぐらかし条文に書いてある事が正義であると豪語する「人の法」を以って、正義とは何かを条文で定義した「神の法」を置き換える誤りに陥った(これは誰よりも正しくアメリカを批判したオサマ・ビン・ラディン師の言を彼のアラビヤ語の演説の中から筆者が纏めたもの。オサマ・ビン・ラディン師はブッシュとの繋がりを云々されるが、彼の人生の後半は命を賭してアメリカと対決した。9.11はユダヤとアメリカ側が事前に知っていてイスラム教徒に遣らせた物であったかもしれないが(そしてユダヤとアメリカは事前に世界貿易センター・ビルの地下に小型核爆弾を設置しておいて飛行機突入の後、ビルを爆破したのであったとしても)、ユダヤとアメリカ側が事前に知っていて日本に遣らせた真珠湾攻撃を敢行した日本軍パイロットを我々日本人が敵の回し者と呼ばないのと同じく、日本の神風特攻隊を手本とした9.11のイスラム教徒による米本土に対する自爆攻撃は歴史に不朽の金字塔を建てた。今日、世界革命は世界で最も活性化したイスラム教徒16億人を敵に回しては実行不可能である事は肝に銘じなければならない。)。
その「人の法」とは支配階級の為の法であり、被支配者達を無味乾燥ながんじがらめの掟で縛り付ける事を目的としている。その「人の法」とは「神の法」と異なり、道義的美学をその根底に持たぬため、その条文を読んだ時、「神の法」に有るような根底に有る道義的美学に魅了されて自発的に掟を守ろうとする動機付け能力を悉く欠いている。その結果、「人の法」が支配する国では、法体系の全ての法律を悉く守っている人間は皆無となり、守っていると主張する事は何人にとっても見え見えの偽善となる。現在、桎梏と化した西洋医学の病院やクリニックや製薬会社を護る為、「医師法違反」「薬事法違反」を振り翳して各種統合医療を弾圧する厚労省の姿は、現行法体系が支配階級の為の法であることをまざまざと見せ付けている。
宗教が社会正義のために支配階級と闘った例を歴史の中に探すと、ジハード(聖戦)を教理自体の中に持つイスラム教には枚挙の暇が無いが、日本神道が心の支えとなって米軍の空襲による日本人一般市民殺戮と命を賭して戦った神風特攻隊と海の特攻隊回天、キリスト教では原始キリスト教の頃にローマ皇帝のネロ等によるキリスト教徒をライオンの餌食にする処刑を物ともせず信仰を貫いた夥しい殉教者達が居り、マルチン・ルッターの教えを信奉し最後には処刑されたトマス・ミュンツァーが率いたドイツ農民戦争(マルチン・ルッター自身はいかさま師。マルチン・ルッターとはトマス・ミュンツァーが捕らえられ処刑された時には自分とは無関係と言い放ち、自己の保身に汲々とした小心者にしか過ぎない。)、実際にはキリスト教徒が大半であったパリ・コミューン(無神論者カール・マルクスが絶賛した被支配者達の反乱であったパリ・コミューンではあったが、その時に創られた歌「砦の上に我等が世界」には「聖なる血にまみれよ!」との一節が有り、ここから明らかにキリスト教的「殉教」の考えがパリコミューンを担った闘志達の闘魂を支えていた事が分かる。)等が有り、仏教では僅かに一向一揆、法華一揆(日蓮宗に支えられた一揆)、それとベトナム戦争の時のアン・クアン寺派の抗議の焼身自殺が挙げられるのみである。仏教が「社会正義」に余りセンシティブでないのは、一人一人生に全責任を負う一神教と違って、自分の記憶には全く無い前世についても責任を感じなければならず、今の人生が不味かったら死んで生まれ変わればよいと簡単に考えてしまう輪廻の思想が原因で「正義」の概念に曖昧さが入り込むからである。
実際に十字架の刑に処せられた双子兄弟の中の弟のイエズス・キリストは「ユダヤ教は掟しか語らず、そこには愛が無い。」と言ってユダヤ教を批判した。この愛の考えがイスラム教にも引き継がれ、愛の無い掟を排し慈悲深いアラー、愛の掟の考えがイスラムの礼拝には脈々と息づいている。女性美の極致である母性愛が神聖なものである事を発見した点に今は堕落してしまったキリスト教の歴史的存在価値が有った(今では天上界の聖母マリアの母性愛を女性一般の母性愛と区別された聖なる母性愛としてしまっている)。イスラム教は残念ながら女性美の極致である母性愛の神聖さを語らない。それが発祥したカースト社会が原因か、あの世の存在である阿弥陀如来や修行を積んだ徳の高い聖人にしか本当の慈悲有る行為が出来ないとする仏教(仏教を民衆の仏教としようとして命を賭けた一生を送った日蓮は別かもしれない)には、凡人の女性なら誰でも自己の中に持つ日常的母性愛を行使すれば聖なる行為となるとする(子が父母を敬い、親が子供を愛する事を詠う)日本神道または儒教に有る革命性が欠けている。
「悟り」を開いていない凡人でも、自分が持って生まれた、男性なら日常的正義感に基づき正義の為、負けることが分かっている時にも尚も闘わんとする闘魂=武士道に則り、女性なら日常的母性愛に則り断固として行動するなら、神聖を帯びた崇高なる行為とする事が出来る、という革命性が日本神道や儒教には有る。美学の話しをしている中に、倫理学の話になってしまった。
これが何を意味するかと言うと、有ろう事か倫理学・法学なる物は美学の中に、もっと正確に言うと美学の中の道義的美学の中に位置付けるべきである、という事を意味する。美学を科学の中に、そして倫理学・法学を美学の中に位置付けるべきである。こういう提言をするのも佐野千遥が世界史上初めてである。
そうすれば倫理学・法学は無味乾燥な掟の寄せ集めである事を止め、正義と愛の美学に動機付けられた生きた倫理学・法学体系となるであろうし、又法律を遵守する事に付き偽善は無くなるであろうし、倫理学・法学は「人の法」である事を止め、社会正義を条文の中に定義した「神の法」となるであろう。科学的正義と愛の美学が根底に無ければ社会正義を条文の中に定義する事が出来ないのである。
経済の分野の諸悪の根源である「需要供給の法則」が人類を戦争に駆り立ててきた時、「人の法」でしかない為に、それを統制する術を知らない無味乾燥な掟の寄せ集めでしかなく物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範としている現行倫理学・法学は出来うる限り速やかに全部廃絶し、新しい美学を体現した倫理学・法学で置き換えるべきである。支配階級に仲間入りする目的で東大文1(法学部)に入学する者の人生の結末には災いが有ろう!若し貴方が既に社会的悪党であるなら、全知であっても全能ではない我々の神は貴方達を憎み、呪い、貴方達はこの世でも最も悲惨な死を遂げ、地獄に落ち永遠の地獄の火に焼かれるであろう!
「人は何の為に生きるのか?」の問いに最近の各界のリーダー達は「幸福になる為。」と答えるのだがこれは誤りである。或る人の人生は艱難辛苦の末、死に至るように摂理されているかもしれない。しかしそうであってもなくても、悪しきこの世に逆らって死を賭して社会正義の為に闘い、心の貧しき人達に有らん限りの愛情を振り撒きつつ(万人を愛せよとは言わない。人間の感情としてそれには限度が有る)、自己の艱難辛苦の人生をも神への愛の為に耐え忍び生き抜き死んで行く時、幸いなるかな彼等は天国を見るであろう。霊魂=負の質量の単極磁石は、肉体が滅んでも生き続ける。「幸いなるかな心の貧しき者。彼等は天国を見るであろう!」
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