12月17日東京講演に於けるスミルノフ学派Dr佐野千遥の講演内容+「正統派」法学批判
ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遥
佐野千遥博士のyoutube動画は、下記のURLをコピペして御覧下さい。コピペして頂く以外に無いのは、私のアメブロ画面では「リンク」が作動しないためです。
http://www.youtube.com/watch?v=vY_fl4Cdbhw
http://www.youtube.com/watch?v=2rSCHuFXqmI
図1:電気エネルギーは「正統派」現代物理学が代表
[図の説明は後に加筆いたします。]
図2:磁気エネルギーはスミルノフ学派と佐野千遥が代表
[図の説明は後に加筆いたします。]
日本発・世界大産業革命に点火する技術的ノーハウ一覧
1) 永久磁石永久機関モ-ター (子供が遊んでいる双極磁石でゼロから有のエネルギーを生み出すフリーエネルギーの極致)(自動車動力、各家庭ノーコスト自家発電)
2)一直線直流発電機 (回転する発電機でありながら電池のような微動だにせぬ直流発電)
3)トポロジカル超電導回路 (完全磁気遮蔽、ガンマ線完全遮蔽、従来厚い鉄板で遣られているリニアモーターカーの磁気遮蔽を唯のメッシュで完全磁気遮蔽)
4)メービウス超電導回路(トリチウム汚染水の放射能を本当に完全消滅、中性子をも低温解体消滅させる放射能防護服、日本人の衣類に埋め込む、建材に埋め込む)
5)特殊構造をしたトランスによる交流電流増幅器
6)トポロジカル超電導送電線 (微量発電・送電中に巨大発電、交流・直流いずれも可)
7)トポロジカル超電導磁気冷却装置
8)単極磁気推力自動車
9)単極磁気推力飛行機
10)原子力を遥かに超える巨大発電
11)単極磁気推力ロケット
12)ウラン・プルトニウム低温解体消滅システム
ニュートンの動的作用反作用の法則を基に、エーテル繊維がとぐろを巻くと質量粒子が出現し、その転がり速度と直線速度の和が光速度で、転がり速度運動量保存則m(c – v) = Mcというメービウス変換を持つ宇宙唯一の素粒子=単極磁力子/エーテル・モデルを佐野独自の数学的観点から創り出した。光がメービウス捻れ磁場に突入して光速度を超えることにより開かれる負の世界に、直線速度ゼロ、転がり速度ゼロの負の質量(強力なる反エントロピー要因)のS極単極磁力子が出現し、他方、固相から液相、気相、中枢が左巻きS、右巻きN単極磁力子で出来ている荷電粒子同士が自転を加速し合いN極系電気エーテル繊維が双方に大量に巻き付く(=単極誘導)事により超高温になったプラズマ相は、転がり速度が光速度を超えると、静止質量本体を成すエーテル繊維が全て解かれて中心粒子の質量が消滅し直線速度がほぼ無限大の負のエネルギーのS極系エーテル繊維と自転速度がほぼ無限大のN極系エーテル繊維の成す極低温のエーテル相へと相転移する。この極低温のエーテル相と先述した直線速度ゼロ、転がり速度ゼロの負の質量のS極単極磁力子とが、一続きの負の反エントロピー世界を成しており、粒子表面に巻き付いた右巻きN極系電気エーテル繊維(エントロピー増大要因、温度上昇要因)が物質表面を成している正の世界に対峙している。
原子核の裏側に存する負の質量の世界+プラズマ相の彼方の負のエネルギー・エーテル相の世界、つまり負の世界と、正の物質世界の両方を貫いて、物理世界の基本パラメーター質量・時間・空間座標・温度、全てを統括・制御する新しい驚異的物理学=スミルノフ学派と佐野千遥の物理学が出現した。
<あとがき> 先ず、原発と原爆を理論的に擁護するが実際の福島原発の惨事の前には未来永劫に成す術を知らず右往左往するのみの今までの「正統派」現代物理学には全く出来なかった「普遍からの各特殊分野の導出・論証」を実現した驚異的物理学=スミルノフ学派と佐野千遥の物理学が出現し、そこから福島原発原子炉の核燃料ウラン・プルトニウム自体を物理的手段により実際に低温解体消滅させ、福島と日本を救う事ができる唯一の戦略的物理科学技術が出現しているという福音を読者の皆様にお知らせしたいと考えます。
皆様が若し、私・佐野千遥が物理学を論じるのは物理学専門家または物理学を知っている人達だけを対象に論じているのだろう、物理学と関わりのない自分達とは無関係な事と、考えていらっしゃるならば、実はそうでは御座いません。
「人は何の為に生きるのか?」という問いに直接答える為に私は物理学を論じている、と申したら驚かれるでしょうか?
惑星間距離の黄金比の美学を既に有する物理世界は、その宇宙の始原に於いて既に、男性美の極致は社会正義の為に闘う武士道、女性美の極致は我が子を思いやる母性愛であり、物質的打算に逆らい皆の為に自己を犠牲にする事が崇高なる行為である事を理解できる人の心は、反エントロピー物理法則=動的作用反作用の公理=因果律により、宇宙の始原に於いて既にプログラムされていた、と我々スミルノフ物理学派と佐野は新しい厳密科学を以って論証した。
原生林の梢(こずえ)越に空の彼方を見上げる時、人は決まって或る感慨に動かされる。生きとし生けるもの、人類の子々孫々の魂=負の質量の単極磁力子は全て、母なる地球に負のエネルギーS極系エーテル繊維により数珠繋ぎに繋がっており、その総体は渦巻き星雲を成している。実は微弱ながら重力波である我々が奏でる美しき音楽、魂の叫び・言霊(ことだま)は、空の星を一直線に貫き、全宇宙にこだましている。その全ては、宇宙のエーテル時間軸が記録し記憶している。
私は、自己の道徳律を市場原理で置き換えてしまった輩を退け、素朴なる自然人を高く評価する。
超フリーエネルギー装置を実際に考案し「反兵器」に基づく「世界直接平和革命戦略」を説く私は、イルミナティ、CIAに何時暗殺されてもおかしくない状況にあり、今まで私が攻撃を受けていないのは、唯一、私がロシアと繋がっており、イスラエルのモサド(=イスラエルのCIA)が私の科学者としての能力を非常に高く評価しているからに過ぎません。
「正統派」現代物理学を遥かに凌ぐ新しい物理科学技術が出現したので可能となった「反兵器」とは変革の運動体が或る程度大きくなると必ず、支配階級のイルミナティ、CIA、米軍、政治警察が武力弾圧を開始するが、その襲い掛からんとする輩の戦闘意欲の喪失、戦闘能力の喪失、撃とうとする武器による自滅を即刻実現する。
最近の各界のリーダー達に「人は何の為に生きるのか?」との問を発すると決まって「幸福に成る為。」と答える。これは誤りである。自分が幸福になろうという精神と、他人を幸福にしようという精神は完全に逆を向いている。人によっては非業の死を遂げるように運命付けられているかも知れないが、負ける事が分かっていても尚も闘わんとする武士道の美学を以って社会正義への変革の為に支配階級と対決して生涯闘い抜き、民衆のために社会的愛を持って人生を生き抜き、崇高なる自己犠牲を実践した心貧しき者のみが、死後天国を見る。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れるを辞さないが、力尽くさずして退くを拒否する!」
「幸いなるかな心の貧しき者!彼等は天国を見るであろう!」
私はそれが正しいか否か、自然の美学に則っているか否かで判断し行動してきたのであって、それが過激であるか、常識を超えているか、世間体に人気を失うか、物質的打算上損するかによって判断し行動してきたわけでない。
若し過激であるか、非常識であるか、世間体不人気となるか、物質的打算上損するから、との理由で私を非難する人がいらっしゃるのなら、その方は御自分の物理学まで立ち戻って何故私の判断・行動が不正義であり、自然の美学に反しているかを厳密科学的に論証しなければならない。
神代からの天啓には科学的論証なんぞどうでもよい、宗教の如くトップダウンに語るのみで足る、と考えるなら別であるが、天啓が正しい事を論証できる物理学が存在するか否かという事はスピリチュアル系の方々にとっても重大な筈。天啓を物理学的論証無しに物理学会に提出しても物理学会は審査しようがない。つまりスミルノフ学派と佐野千遥の新しい物理学理論が支えなければ、神代からの天啓は物理学学会で発表し得ない。
「悟りさえすればば救われる」とは「ユダヤ人選民思想」に相通じる物が無いか?
最近の各界のリーダー達に「人は何の為に生きるのか?」との問を発すると決まって「幸福に成る為。」と答える。これは誤りである。人によっては非業の死を遂げるように運命付けられているかも知れないが、負ける事が分かっていても尚も闘わんとする武士道の美学を以って社会正義への変革の為に支配階級と対決して生涯闘い抜き、民衆のために社会的愛を持って人生を生き抜き、崇高なる自己犠牲を実践した心貧しき者のみが、死後天国を見る。「幸いなるかな心の貧しき者!彼等は天国を見るであろう!」
「ロックフェラーは過激派だがロスチャイルドは穏健派で良いイルミナティである。」との考えは誤っており、銀行資本のロスチャイルドは、米帝国主義・大英帝国主義・イスラエル帝国主義の上に君臨する闇の権力イルミナティの本体であるのだから、傍系のロックフェラーのみならず本体のロスチャイルドこそ打倒すべきなのである。「イルミナティ自動崩壊論」はスターリンの「資本主義自動崩壊論」と同じ誤りに通じる。
意識が正しい意識でなければ革命はできない。又、正しい意識だけでは革命はできない。
つまり、正しい意識の啓蒙活動を超えて、直接民主主義的な社会運動・政治活動を実践しなければ革命はできない。私は政治的取引市場でしかない代議制多数決民主主義を否定する。闇の権力は、正しい意識とその啓蒙活動だけでは決して自動崩壊しない。その革命は「世界直接平和革命戦略」に則って実践しなければ成就しない。
「正統派」現代法学・政治学批判
「正統派」近代・現代法学批判
ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遙
原生林の樹木一本一本は人が決して真似できない個性を持った素晴らしい芸術作品である。
原生林の梢越しに空を眺める時、人は必ずある種の感慨に駆られる。
野花の咲き乱れる野山に人はこの世の楽園を見る。
抒情詩を書いてみました。
大自然の新緑の野山の草木たちよ!君達は何故如此も美しいのか?
来年はもうこの世に居ない事を予知しているかのように、君達の生涯においてもう二度とこの眼に眩いほどの新緑を母なる地球に燃え立たせる事がないであろうことを知っているかのように、晩春の今、君達原生林の草木は今を限りの愛らしい崇高なる姿を私の眼に焼き付けている。
遣られても遣られても、人間達が呼吸できるための酸素を創り出して徹頭徹尾人間達に心底の愛情をもって尽くしてきた君達草木を、第二東名建設のため人間どもはこれから邪険に扱い、切り倒し殺そうとしている。
君達草木の崇高なる心が私の心を打つのだろう。君達の清い心の世界には物質的打算に基づく言論・思想統制、言論・思想弾圧も存在しない。
<抒情詩は以上>
法律とは、その条文を読めばそこに書かれている正義と愛の内容の美しさに感動し、本来的に民が自発的に守ろうとし、守る事に社会正義の美学を見出し、守る事に誇りを持てるような法律でなければならない。
しかるに「正統派」現代法哲学に支えられた現代の法体系は、美学無しの掟・規則の集合体でしかなく、その無味乾燥な「法体系を私は全て守って生活しております!」と豪語する事は、見え見えの偽善にしかならない。何故美学無しになってしまうか、を以下に論じて行く。
「正統派」現代法哲学は、法律とは対立し得る利害の間に入って中立的に社会的調整を行うために存在する、と豪語しているのだが、これが実は全くの嘘偽りであることを以下に論証する。
「正統派」現代法哲学は、利害対立が生じる根拠を、「需要供給の法則」=「神の見えざる手」の自由な市場に於ける等価交換が何らかの原因により阻害されるからと信じ、利害対立を調整するには「需要供給の法則」の等価交換に立ち返り、自由なる市場を回復すれば良いと妄信する誤謬に迷い込み、それが誤謬である事を認識する事を自分達の論自体が無意識の中に阻んでいる事に気が付かない。
「需要供給の法則」、最も自由なる市場自体が等価交換の原則を意図的に踏み外し、等価交換が絶対に成り立たないような仕組みである事を論証しよう。
物理学に於けるニュートンの動的作用反作用の法則
F1 ・ v1 = – F2 ・v2
は、同時に哲学的な因果律である。
vを需要供給市場に於ける或る商品の個数、Fを値段とする。
v1とは供給側が売りたい個数、v2は需要側が買いたい個数であるとする。
F1とは供給側が売りたい値段、F2とは需要側が買いたい値段とする。
供給側がその商品をv1個、値段F1で売ろうと考えてマーケットに出したが、予期に反して良く売れず
|v1|>|v2|
需要側は結局v2個しか買おうとしなかった場合、自由なるマーケットが自由であればあるほど、値段まで値崩れして
|F1|>|F2|
となり
|F1 ・ v1| >> |F2 ・v2|
実際の売り上げ総額は、期待していた総額より遙かに少なく成ってしまう。つまり自由なるマーケットが自由であればあるほど等号は成り立たない。
供給側がその商品をv1個、値段F1で売ろうと考えてマーケットに出したが、逆に予期に反してバカ売れして
|v1|<|v2|
需要側はv2個も買ってくれようとしたので、自由なるマーケットが自由であればあるほど、値段まで大きく跳ね上がり
|F1|<|F2|
となり
|F1 ・ v1| << |F2 ・v2|
実際の売り上げ総額は、期待していた総額より遙かに大きく成ってしまう。つまり自由なるマーケットが自由であれば等号は成り立たなし、自由なるマーケットが自由であればあるほど等号から益々大きく隔たる。
つまり自由なるマーケットであれば何時如何なる場合も等号は成り立たない、つまり等価交換は絶対に成り立たず、自由なるマーケットが自由であればあるほど等価交換からの逸脱が甚だしい物となる。自由なるマーケットとは本来的に等価交換を意図的に破壊する仕組みである。この事に今日の如何なる経済学派も気付いておらず、いかなる法哲学者も気付いていない。
その結果、今日の経済学、法学全「体系」は根本的体系的誤謬に陥り、大混乱に陥っており、法学は全く「社会正義」を論じる事が出来ない惨状にある。
「需要供給の法則」を正義の「神の見えざる手」と妄信した法哲学者達は、彼等にとってのこの「大原則」「需要供給の法則」「自由なるマーケット」に対する妄信が原因で、法学の分野で「物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする」誤謬の法哲学を形作ってしまっている事に気付かない。
近代法であろうが現代法であろうが「物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする法哲学」を持った法律体系は、資本主義が必然的に生み出す支配/被支配関係の中で、物質的に優位に立つ支配階級の利害を代弁し、支配階級を擁護する為の法体系へと成り下がる事は至極理の当然である。
ここに「正統派」現代法哲学の主張する、法律とは対立し得る利害の間に入って中立的に社会的調整を行うために存在するとの豪語は、実は全くの嘘偽りである事が満天下に論証された。
現行法体系は物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする根本的に誤れる法哲学を有しているために、我々が創るべき新世界においては廃絶すべきである。社会正義、社会的愛を打ち立てる事こそが社会の目標であるのだから、法律とは条文を読めば、そこに表現されている「社会正義」、「社会的愛」の美しさに感動し、民衆が自発的に守らんとする物に改変されねばならないのである。
美学は科学の中に位置付けられるべきである。そして倫理・法学は美学の中に、特に美学の中枢である道義的美学の中に位置付けられるべきである。
道義的美学に於いては、男性美の極致は、命を賭して正義の為に断固として闘わんとする闘魂、負ける事が分かっていてもなおも闘わんとする闘魂=武士道であり、女性美の極致は女性としての美人さではなく、母の子に対する母性愛である。
この社会正義の美学と社会的愛の美学の息吹を倫理学・法学の中に吹き込むべきなのである。
人間は社会正義の美学と社会的愛の美学に先験的に共鳴する心の仕組みを持っているのだから、その人間が織り成す社会的人間関係を社会正義の美学と社会的愛の美学に動機付けられて形成するべきなのであって、物質的打算に基づく「権利」「義務」で取り仕切らせる事自体が社会的人間関係を残虐なる社会的人間関係に変質させているのである。
宇宙史の中の、地球史の中で奇遇にもこの同時代を生きた草木、動物達、人類と人類同士は本来的に皆友達で有る筈である。
では現在日本の大学の法学部で教えられている無味乾燥且つ残虐なる法哲学理論の内容を、彼等の教科書から引用するので、皆さんにも彼等の理念と「理論」が如何に誤りに迷い込んでいるかを各人発見し確認して行って欲しいと考えます。
<以下は大学で法学の教科書として使われている「現代理論法学入門」田中成明編、現代法双書、法律文化社 からの引用>
「法実証主義
法実証主義という言葉の意味は
(1) 実定法規だけが法であるとする実定法一元論
(2) 法と道徳の峻別
(3) 法の効力の根拠や法とそうでないものの判別基準を何らかの超経験的な理念のうちに求めず実定法体系の内部に求める事。
である。[P.26]」
法実証主義は「法律は法律」とする立場から、非人道的で民衆に対し明らかに犯罪的な法律も含めて法と考える。これは法と道徳を峻別してしまった為に必然的に結果する事である。
「近代法とは、政治的には近代市民社会の成立を背景としつつ、その経済的基盤である近代的資本主義体制を維持するため、資本主義体制のいわば中核に位置する市場機構について、その基本的枠組みを整備・保障するという機能を担う法システムである。」[P.27]
「人びとの社会関係(について)は、自由かつ独立の市民間の商品交換を通じ、等価交換という客観的な経済法則にのっとって、(これが)維持・展開される。」[p.27]
「市場とは、市民間のこうした商品交換の行われる場である。自由な経済主体としての個人、とりわけ企業は価格と(外面的:筆者追記)品質とを武器にして市場に於ける競争に参加する。そうした自由な主体間の競争を成り立たせ、これを外的に保障するルールの体系が、近代法である。近代法は、いかなる外的介入・権力的支配からも自由な状況で、ただ当事者間の競争のみに拠って商品の価格が決定され商品交換が行われるよう、取引に関する公正なルールを整備するものなのである。」[P.28]
「「身分から契約」への流れや、「義務および共同体に結び付けられた人間」から「利益によって導かれた個人」への変遷が、ここに見て取れるのである。」[P.28]
「近代法は、商品の等価交換に関する公正なルールを用意するという機能を果たす為、商品交換の主体については「人格の対等性」、その客体に関しては「所有権の絶対性」、その媒介手段としては「契約の自由」、の以上三つをその基本原則とする。」[P.28]
<佐野千遙によるコメント>
資本主義社会の本質とは、その「自由」「平等」「博愛」の美辞麗句とは裏腹に、資本主義が発展すればする程益々激烈になる現代の奴隷制度=「賃金奴隷制度」、つまり支配被支配関係の決定的強化に有った。分配の不公平・不平等(搾取)を幾ら是正しようとしても生きて活動する資本主義の前には、焼け石に水であり、その結果、「搾取に対する闘争」=「賃上げ経済闘争」は傍系の改良闘争でしかなく、階級支配被支配関係=「賃金奴隷制度」そのものを覆す国際的社会的闘争が必要なのである。
「近代法の中枢を占めたのは、自由平等な取引主体たる市民間の水平的関係を規律する司法体系であった。では市民と国家との間の垂直的関係はどうか。...市場機構が順調に機能するには、一切の権力的介入の排除が必要であった。...いわゆる夜警国家である。」[P.29]
「ところが、市場機構に於いいて競争が有効に作動する枠組みを用意する事をめざしたこの近代法システムは、特に今世紀初頭以降、市場機構が期待通りに作動しない、あるいはその作動の仕方ないし結果が著しく正義に反するという事態に直面し(た)。」[P.29]
「現代法の登場」
「市場機構は本来、顧客獲得をめぐる企業間の自由競争を通じて商品の適正な価格・需給量が決定・維持されることにより、円滑に作動するものであった。」[P.29]
「第一の問題(である)独占企業の出現は、こうした自由競争を妨げ、市場機構の正常な作動を阻害する。」[P.30]
<佐野千遙によるコメント>
独占資本の出現の弊害は19世紀末~20世紀前半にかけて、自由競争を妨げ、市場機構の正常な作動を阻害する事よりも、独占資本の意を受けた強大なる国家権力が後進諸国を植民地化し、民衆の大半の意に反して植民地と市場の争奪のため強国間の世界戦争に全国民を駆り立てた所に有った。又、独占を独占禁止法により解体して、自由市場に戻せば資本主義の本質的弊害が無くなるという訳では全くない事は、先に述べた「賃金奴隷制度」批判により明らかである為にここでは詳述しない。
「近代法が想定していた(「建前としていた」と書き換えるべし。佐野註)「人格の対等性」が、現実には存在しなくなった...。」[P.30]
<佐野千遙によるコメント>
近代に於いて既に元々「人格の対等性」とは存在していなかったのだが、この時期に及んで労働組合運動、消費者運動により、それまで隠れていた不平等性が暴露された。
「...国家が、社会経済秩序の形成・維持に積極的に参与することが求められるようになる。」[P.30]
<佐野千遙によるコメント>
そう言い換えてしまえば本質は見えなくなるが、これは支配階級が押し付ける社会秩序に抵抗する被支配階級に対し、支配階級は赤裸々な国家権力の弾圧を開始した事を意味する。
「消極国家、自由放任国家から積極国家、社会国家への移行である。」[P.30]
「(次に)市場に於ける経済的自由競争から帰結するさまざまな不正義を正すという、その意味で近代法システムそのものの欠陥を是正する機能である。近代法が標榜した自由且つ平等な諸個人という理念は、諸々の社会経済的格差に苦悩する弱者層の存在を看過ないし無視するものであった。」[P.31]
<佐野千遙によるコメント>
現代法は実際には市場に於ける経済的自由競争から帰結するさまざまな問題の存在を認識したという事であって、不正義を正したと言う事ではない。物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする現代法は、遣っても儲けにならない弱者の為に不正義を正す為の資力を本気で投入する筈は無い。逆に社会的弱者による反抗の危険を察知し、支配階級の為の治安維持目的の法整備に余念が無い。
<佐野千遙によるコメント>
「紛争の事後的個別的解決という伝統的な機能」を脱し、支配階級にとって危険と看做されるなら、罪刑法定主義をかなぐり捨ててでも、予防拘束・保安処分(ナチス刑法)を適用できるための法律が米国において終戦直後以来施行されている。
「正統派」現代政治学批判
ところで西洋のモンテスキューの三権分立論の立法・司法・行政の三機関は全て上述したこの誤れる法律をめぐる立法であり、司法であり、行政でしかない。つまり、誤れる法律をめぐる三機関なのだから、立法・司法・行政の三機関は誤れる社会的機能を遂行している。特に国会の使命をその誤れる法哲学に基づく立法をする事として疑わない国家構想哲学自体が誤りなのである。国会とは政治的議論をする場である。政治とは社会正義を論じる学問であり社会正義、社会的愛を実現する事をその使命とする。しからば国会に於ける政治論議が如何なる法律を立法すべきかに集約されている事自体が根本的誤りであり、国会とは直接社会正義を実現するにはどうするべきかを議論し実施する手段を準備する場で有らなければならない。
資本主義が経済的取引市場であるのに対し、民主主義とは政治的取引市場である。
もっと詳細を述べると資本主義が諸悪の根源である「需要供給の法則」に基づく経済的取引市場であるのに対し、民主主義とは現在、諸悪の根源である「需要供給の物質的打算法則」に基づく政治的取引市場であるに過ぎない。
民主主義とは理想的には、真理を探究する討論の中で討論参加者達一人一人が自分の見解を発展・進化できなければならない。そうでなければ民主主義と言えない。
しかるに、日本の代議制民主主義である国会は政党で埋め尽くされ、或る議員が或る政党に属しているなら、国会討論で議員個人が自分の見解を進化・発展させる事は先ず起こりえない。これは憂うべき事であり、民主主義とは言えない。
国会には若し多数決民主主義を採用し続けるのなら、政党参加は禁止すべきなのである。ギリシャの哲学者プラトンは民主主義には各人真理を探究する強い個人による「哲人政治」を主張した。
今回のブログは以上です。
佐野千遥博士とは
過去250年~340年間、世界の大数学者達が解こうとして解けなかった世界史的数学難問4問を解き、
2011年11月7日にアメーバブログで「間もなく太陽表面から新しい惑星が誕生する」事を科学的に論証した予言を2012年3月10日のNASAの発表で実現させ
数学における誤謬の数学分野の存在証明をし、
現行「正統派」現代物理学が「トンデモ」物理である事を体系的に論証し尽くし、
アインシュタインに代わってマクロ/ミクロ物理世界を貫き恐るべき整合性を持ったニュートン・スミルノフ・佐野宇宙方程式を提唱し
超電動に対する超磁動の存在を世界史上初めて理論構築して論証し、
さらにその超磁動を使っての原子爆弾、原発の核燃料のウラン、プルトニウム自体の低温解体・消滅装置の開発プロジェクト(=世界平和の真のシンボル)を創出し
更にその同じ仕組みを使った原子力を遙かに超える大電力発電装置の開発プロジェクトを創出し
光速電子放射線治療AWGを支える物理学理論を創出し
「病は原子核内から磁気で治す」事を知らない不能の現代医学を体系的に批判し、
ソマチット=物理的生命体=「負の質量を持った単極磁石」である事を世界史上初めて発見しその理論を構築し
人間機械論の現行人文科学を批判し、
現行経済学の「需要供給の法則」=「神の見えざる手」が因果律を意図的に踏み外す諸悪の根源である事を批判し、
近代経済学に見えていない3種の価値「有用価値」「コスト価値」「流通価値」の区別付けを持った未来経済学を創出し、マルクスすら扱えなかった「有用価値」も含む価値交換方程式を世界に先駆けて提唱し、何故現代世界は経済活動の縮小過程に入っているのかの根本原因を世界に先駆けて提唱し、どうすれば活性化できるかについての経済プログラムをも世界に先駆けて提唱している
物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする現行法体系を批判し、
その誤れる法律をめぐっての立法・司法・行政を主張し、社会正義と社会的愛の実現が国政の目標である事を忘れ去った西洋の三権分立論を批判し、
美学は科学の中に位置づけるべきであり、倫理学・法学は美学の中(就中、その中枢である道義的美学の中)に位置付けるべきである、と主張し
福島原発の惨状に成す術を知らず右往左往する「正統派」現代量子核物理学の打倒と、「正統派」現代物理学の花形=「トンデモ」素粒子論を権威付けるノーベル賞委員会解体を提起し、
反エントロピー数理物理学から出発し、現行の「科学」とは別体系の反エントロピー物理学・自然科学、医学・精神医学・人文科学・社会科学:総じて社会正義の美学・社会的愛の美学に結晶する全新厳密科学体系を提唱し、
超フリーエネルギー装置=永久磁石永久機関モーターの発明を基に日本発世界産業革命を準備し、
宇宙の始原からプログラムされていた社会正義の美学・社会的愛の美学に打たれて日本発世界の社会変革に邁進する崇高なる自己犠牲の精神を日本人の心に蘇らせんとする
ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遥です。
P.S. 読者登録をして下さる方には、フリーエージェント大学ドクター佐野千遥教授の講義受講の権利2時間分を無料プレゼントいたします。講義はskypeで配信いたしますので、ご興味の有る方は読者御登録の際にskype名をアメブロのメッセージ機能を使ってお知らせ下さい。
P.S. 尚、間もなく佐野千遥博士の塾「反エントロピー世界観により本物の社会変革を!」を立ち上げますので、そのメッセージ送信の際に塾にも参加ご希望の場合、その旨お知らせ下さい。その塾の部会は反エントロピー物理学体系、磁気による発明家協会、物理的手段による放射能の核種変更除染、タイムマシン・テレポーテーション・反重力の厳密科学体系、反エントロピー物性化学、反エントロピー生命物理学、反エントロピー物性医学、統合医療の厳密科学化、永久磁石永久機関モーター、バベルの塔の限界に挑みネーティブの精度と敏捷性に肉薄する語学習得「即聞即答訓練」、反エントロピー精神医学・教育心理学、反エントロピー未来経済学体系、反エントロピー経営学、反エントロピー未来法律学体系、歴史学への洞察、反エントロピー政治学、戦略論、バイオリン演奏習得等多岐に渡っておりますので、振るって御参加下さい。
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12月17日東京講演に於けるスミルノフ学派Dr佐野千遥の講演内容+「正統派」法学批判
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