我々は何の為に生きるのか?殆ど全ての教師の答“幸福に成る為!”は間違っている!!Dr佐野千遥
ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派数理物理学の最高責任者Dr佐野千遥
はじめに
人道に反する悪人玉蔵と、人道に反する悪人・飯山一郎は、私・佐野千遥に敵対した結果、自分自身の問題が切迫して来て、そのような事を言っていられない状況に追い込まれて来ているが、巣頭鬼聖司は未だに”ナターシャ大町”なる偽名でインテリ―のロシア人女性であるかの振りをして完璧にでっち上げた事実無根の“佐野千遥の学歴詐称、経歴詐称”なるデマ宣伝・名誉毀損行為を未だに続けている。
この“ナターシャ大町”=巣頭鬼聖司とは
1 デリバリー・ヘルス(売春婦を目的地まで車で送り届ける業務)を最主要稼業としており
2 2014年2月に千葉県柏尾氏の連続通り魔殺人犯・竹井聖寿とyahoo喧嘩部屋の大の仲良しで、竹井聖寿が殺人を犯す直前に、詐欺行為により取得した金塊1000万円相当で買い取ってあった豪邸に同居させようとし、
3 偽装結婚により、韓国人女性から100万円相当をだまし取った、
中卒のチンピラです。
このような巣頭鬼聖司=“ナターシャ大町”の言う事を信用するのか!それとも私・佐野千遥の言う事を信用するのか?
このような巣頭鬼聖司=“ナターシャ大町”による完全にでっち上げた事実無根のデマ宣伝を未だに信じている人達が居るとしたら、その人は自分の酷い勘違いに、もうそろそろ気付いてもよさそうな頃です。
<以下本論>
我々は何の為に生きるのか?殆ど全ての教師の答“幸福に成る為!”は間違っている!!Dr佐野千遥
私・佐野千遥は、歴史上、世界の物理学会で神の存在証明を遣って退けた4人の物理学者の中の1人である。
神の存在証明を遣ったのだから、佐野の厳密科学は宗教をも対象とし得る科学である。
我々は何の為に生きるのか?!
今日これに対して、殆ど全ての教師や指導者達は、“幸福に成る為!”と実際答えるが、この答えは根本的に完全に間違っている!
この問いに対しては、「自分が幸福に成るのではなく、他人が不幸に陥らないようにする為、そして他人を幸福にする為」が正しい答えとなる。
そして他人が不幸に陥らないようにする為、そして他人を幸福にする為には、この悪しき世界の流れに抗して、社会正義と社会的愛を実現する為に武士道の美学に基づいて闘う姿勢、時には命を賭して闘う崇高なる姿勢が要求されるのである。
つまり本当の「幸福」の概念は、物質的“幸福”、利害打算に基づく“幸福”とは全く異質の「幸福」概念である。
「命を賭して」とは「死」をも乗り越えて、という意味で有る。
では「死」をテーマとして成り立っている宗教というものを見てみよう。宗教では、現生に於いてどのように生きるべきか、来世は有るのか、が問題になる。「どのように生きるべきか」は善悪の問題に関わり、死を超えた来世に生き続けるには「永遠なる愛」の概念が関わるのである。
世界の主だった宗教として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教を見てみよう。
タルムードを信奉するユダヤ教徒は論外だが、タルムードを除いたユダヤ教なるものが有ったとする。その内容は、“汝殺すなかれ。汝姦淫するなかれ。”等の戒律から成っている。字句通り解釈するなら、これ等の戒律に依って、個人的善悪を判断せよ、という意味で有る。
イエス・キリストは「ユダヤ教は戒律、戒律とばかり言って、愛が無い!」と言ってユダヤ教を批判した。私・佐野千遥はこのキリスト教によるユダヤ教に対するこの「愛が無い!」という批判は正に正しいと考える。
イスラム教は、“キリスト教の神の概念は余りに人間的過ぎる。”“神はもっと冷厳な存在である。”と言ってキリスト教を批判する。物理学者の私・佐野千遥自身は、結論から先に言うと、美学に憧れ、愛を持った人間に準(なぞら)えて人間が神を想像して一向に構わない[註1][註2]、と考える。その結果、上述のイスラム教に依るキリスト教に対する“人間的過ぎる”、“神はもっと冷厳な存在である”、との批判は、当を得ていない、と考える。
[註1]:「人間的神」とはしかし、嫉妬や妬みを持ったギリシャ神話や八百万の神々ではない。又、神は唯一神でなければならない。真実が1つしかないのは、神が唯一神であるからである。
[註2]:「初めに光有りき!」と言うように、宇宙は始原において、光を発する大きな大きな巨大なエーテルの塊=太陽であったが、その半径が黄金比に縮む度毎に、その表面から星を崩れ落として行き、太陽が生まれ、地球が生まれ、その地球上に太陽の黒点(=S極磁気単極子の集まり)から発されて遣って来たS極磁気単極子=ソマチットを基に生命が生まれ、その生命は合目的的進化を遂げて、社会正義の美学、社会的愛の美学、武士道の美学といった高度の秩序性を認識できる人類が発生した。この合目的的とすら言える強度の反エントロピー・プロセスの連鎖は、全宇宙万物がそのような人類を出現させるべく作動した事を意味し、そのように作動する全宇宙万物を創った神は、人類と同じく社会正義の美学、社会的愛の美学、武士道の美学を至上の美学と認識する非常に「人間的な神」である。
では、「愛」という概念に付き、更に論を進めよう。
“冷厳なる神”を主張して、この点、ユダヤ教に一歩逆戻りしたかに見えるイスラム教は、しかしユダヤ教とは違って、「愛」の概念を提起している。それはコーランの中で「慈愛」と表現されている。
私・佐野千遥は「慈愛」とは、「上から見下(みくだ)した愛」でしかない、と考える。
ついでまでに述べると、仏教も「慈愛」しか言わず、対等の「愛」は語らない。
母親が自分の赤ちゃんに寄せる愛情は、対等の愛に基づいている。赤ちゃんは世の中の事を何も知らないけれど、母親は対等な一個の人間として赤ちゃんに愛情を寄せるのであって、何にも知らないけれど一人前の人間だから可愛いのである。この愛は対等の愛である。
以上の論から、私・佐野千遥は、個人の愛に付いては、4大宗教の中でキリスト教が一番正しいと考える。
以上、4大宗教の、個人的善悪、個人的愛について述べた。
では、次に社会的善悪、つまり社会正義と社会悪、社会的愛について4大宗教を調べよう。
キリスト教、ユダヤ教は個人の善悪しか語っていない。社会正義/社会悪に全く言及していない。
仏教は個人の善悪と社会正義/社会悪をその境界を曖昧にして因果応報の理(ことわり)に基づき仄(ほの)めかす事は有るが、因果応報の上に立つ概念の輪廻の思想を持っている為に、一人一人生に付き全責任を負う一神教とは違って、個人の善悪と社会正義/社会悪の区別付けは、輪廻に於ける死を経て、ほぼ無意味になってしまう欠陥を持つ。
イスラム教は、ジハード(=聖戦)の概念を持っており、これは社会正義を追求する事を意味し、而も、そのジハードの為に自爆攻撃(私はこれを自爆テロと呼ぶ事を拒否する)を敢行する時、イスラム同胞愛=社会的愛を動機として行っている。
このように社会正義、社会的愛の概念を持っているという点で、イスラム教は、4大宗教の中で最も進んだ宗教であると言える。
では次に、最近流行(はやり)のスピリチュアル系について論じよう。
彼等は物理的超常現象に言及して“目覚め”だとか“悟り”だとか“次元上昇”とか言うので、「それは宗教か?」と問うと“いや、宗教ではない。”と彼等は答える。
確かに、スピリチュアル系は「死」に言及せず、その真剣さに於いて宗教に遥かに劣っている。
物理的超常現象に言及しているので科学かと言うと、スピリチュアル系はカッコ付「正統派」現代物理学に依っているから超常現象を全く説明できない結果、物理的超常現象に全く厳密でない直感でのみ対処しようとしており、全く科学でないのである。
歴史的に見ると、スピリチュアル系の発生には、誤謬のカッコ付「正統派」現代量子物理学=トンデモ物理学の“量子”だとか“素粒子”だとか“波動”といったデタラメな概念が関わっている事が分かる。
よって、誤謬のカッコ付「正統派」現代量子物理学=トンデモ物理学から発生したスピリチュアリズムは害有って益無しと言えるのであり、スピリチュアリズムに嵌まり込んでしまっている人達は、物理的超常現象をも厳密物理学として説明できるスミルノフ物理学を学ぶべきなのである。
又、スピリチュル系の社会的側面を調べると、スピリチュアル系は結局、個人の“目覚め”だとか“悟り”だとか“次元上昇”とかしか言っていないのだから、社会性が欠落しており、社会運動により社会を変革する必要性に思い至らない。
よってスピリチュアル系は宗教のイスラム教に遥かに劣っており、スピリチュアル系を誤謬のカッコ付「正統派」現代量子力学の落し子と見るなら、結局スピリチュアル系とは、闇の権力・イルミナティにマインド・コントロールされた集団でしかないことになる。
「初めに光有りき!」と言うように、宇宙は始原において、光を発する大きな大きな巨大なエーテルの塊=太陽であったが、その半径が黄金比に縮む度毎に、その表面から星を崩れ落として行き、太陽が生まれ、地球が生まれ、その地球上に太陽の黒点(=S極磁気単極子の集まり)から発されて遣って来たS極磁気単極子=ソマチットを基に生命が生まれ、その生命は合目的的進化を遂げて、社会正義の美学、社会的愛の美学、武士道の美学といった高度の秩序性を認識できる人類が発生した。この合目的的とすら言える強度の反エントロピー・プロセスの連鎖によって人類が出現したとする私・佐野千遥の論は、人間個人についての徹底した「性善説」である。
ところが善人の個人が集まって成した人間社会は邪悪極まりない社会となった。
出現時の複雑な高度な文法と音声学を持った母国語が極度に簡素化されて論理的訓練を受けなくなった結果、理性で本能を制御出来なくなって人食に及んだ孔子に代表される中国人の中華覇権思想に基づく中共社会帝国主義や、因果律を業と逸脱する仕組みの貨幣に基づく需要供給の法則=神の見えざる手が原因で物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする堕落した道徳律や、個人の悪の極みを推奨するタルムードを聖典とするユダヤ教や、タルムード・ユダヤ教徒が集まって高度に発達した貨幣経済の下で書かれた社会悪の体系を全世界の社会に実現させる為の世界戦略が書かれた「シオンの議定書」とそれを箇条書きにした25箇条を綱領としたイルミナティ・闇の権力=国際帝国主義が世界を支配するに至った今日、世界を社会正義、社会的愛の為に変革しようとする側が追い詰められた状況に有る事を良く認識する必要が有る。
有名な哲学者エンマヌエル・カントが「純粋理性批判」の中で書いたように、人間は「先験的」に[註]個人的善悪を判断する事ができる被造物として生まれて来た。
[註]:人は学校教育を受けなくても、個人的善悪は「良心の呵責(かしゃく)」で判断する事ができる。
これを基にアングロサクソンは“「自然法」が存在するから、社会を律するには「不文律」で良い。”と考えたのだが、これには大きな落とし穴が有った。
社会に適用する「自然法」なるものは社会正義/社会悪を弁別できる能力を必要とするのだから、個人の先験的善悪判断では遥かに及ばないのである。
個人の善悪を越えて社会正義/社会悪を判断できる為には、能力ある者が世界のあらゆる事に付いて想像を絶する程の発見的学習をした上で社会正義/社会悪を正しく弁別する法則性を抽出せねばならないのであり、生半可な「陰謀論」、特に今流行の“自作自演陰謀論”を受け売りして良しとする事は非常に危険である。この“自作自演陰謀論”には愛と情熱が無い!
私・佐野千遥は離散値の数学とスミルノフ物理学を出発点の厳密科学として、生命物理学、医学、人文科学、社会科学の総体を反エントロピー一大厳密科学体系と成し、社会正義・社会的愛の体系を全世界の社会に実現する為の世界戦略を策定しつつあります。
しかし、我々社会正義の側は、現在、非常に追い詰められた状況に有ります。
社会正義を目指した社会運動の闘いの中で例え自分は力及ばずして倒れようとも、他の人達が不幸を避ける事が出来、そして他の人達が精神的幸福を掴めればそれで良しとする崇高なる美学を持った闘魂を持とうではありませんか!そうしてこそ初めて結果として自分が真に精神的に幸福になると確信します。
社会正義の為の社会変革の歴史的運動に参画する志を持った方々は、このブログに結集して下さい。
頑張りましょう!御一緒に!
「幸いなるかな心の貧しき者!彼等は天国を見るであろう!」
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