明仁天皇が今読まれている落合莞爾“天孫皇統に成り澄ましたユダヤ十士族”の批判!Dr佐野千遥
仏国グルノーブル大学言語学科大学院中退
ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派数理物理学最高権威者
Dr佐野千遥
12月7日に発売になった落合莞爾著「天孫皇統に成り澄ましたユダヤ十士族」を明仁天皇が現在お読みになっていらっしゃる[註0]ので、「天孫皇統に成り澄ましたユダヤ十士族」の内容をここに批判的に検証する。明仁天皇陛下にも本ブログを合わせ読まれる事をお薦めする。
[註0]:「陛下・殿下が天覧・台覧」と書かれてある。
落合莞爾氏の論も、変遷して来ており、前に言っていた事と今日言っている事の間に食い違いが少なからず存在する。而も重要な論点に於いてすら食い違いが存在する。
例えば落合氏が2015年10月に出版した“天皇とワンワールド:京都皇統の解禁秘史”では、落合氏は日本の天皇と言い、ユダヤ人といい、あらゆる黄色人種は中東のウバイド人が全地球規模に拡散したものである、と言った主張をしていたのであるから、日本の天皇は渡来人と見做していたのであるが、最新刊の“天孫皇統に成り澄ましたユダヤ十士族”に於いては“『天皇渡来人説』を全面否定”している。
これはユダヤ人というものが評判が悪く、日本の天皇がそのユダヤ人と同族と見做されるのは不利と考えて、最新刊の“天孫皇統に成り澄ましたユダヤ十士族”では、天皇は純粋に古来からの日本列島原住民で、ユダヤ人とは無関係であるとの論調へと変化したと推察される。
しかしこれでは科学としての歴史学は科学ではなくなってしまうのであり、著者の恣意によってどうとでも改変されてしまう弊害に陥るのを避けられない。
先ず落合氏は、“伊勢神宮はユダヤ人のためにつくられた神社です。”と言ってしまう時、日本人・天皇とユダヤ人とが無関係としてしまうのであるが、これが科学的に理不尽である事は、世界の諸民族の中でYAP遺伝子を持っているのは、日本人とユダヤ・アラビヤ人だけである事実を、“日本人・天皇とユダヤ人とは無関係”とする立場からは全く説明できない事から論証される。
そして落合氏が“天皇は渡来人ではない。日本列島の古来からの列島原住民である。”と主張する時、
日本語の文法が朝鮮韓国語の文法と98%同等であり、日本語は明らかにトルコ語、モンゴル語、満州語、朝鮮各国語のアルタイ語族に属する事実を全面否定する非科学的立場に迷い込んでいる事が明らかとなる。
つまり、落合氏の天皇起源説は如何なる意味に於いても科学的に完全なる誤謬であることが論証されてしまうのである。
落合氏のこれまでの純血主義的舞台設定では1)天皇が列島原住民の血も引いていて、2)尚且つ渡来人であり、3)尚且つユダヤの血も引いている現実を説明する事は不可能である。そして“天皇は古来からの日本列島原住民である。”なる落合氏の主張は、ではその“古来”以前には何処に住んでいたどのような語族であったのか?の質問に答えようが無い。
ところで、1)天皇が渡来人であり、2)尚且つユダヤの血も引いていて、3)尚且つ列島原住民の血も引いているのが真実であるのだが、この1)、2)、3)の一見相矛盾する様に見える3つの真実が実は何故矛盾しないのか、それが実現するに至った経緯は一体どのような経緯だったのか?興味津々の読者が多くいらっしゃると思われるので、私・佐野千遥はその経緯を此処に詳述することとする。
皆さんの理解を助ける目的で、1)、2)、3)全条件実現の経緯が実存する事の論証を箇条書き的に分けて述べる事とする。
1 実は今日、世界に分布している諸々の語族の存在は、太平洋にその昔、今は無きムー大陸なる大陸が有った事を前提しないと説明できない。
2 7万2千年前にインドネシアのトバ湖が巨大火山爆発を起こした結果、太平洋上のムー大陸が沈んだ時、
3 西に向かってアルタイ語族:トルコ人、モンゴル人、満州人、朝鮮韓国人が逃げ、ユーラシア大陸上の中国人とは異なったムー大陸系黄色人種を成し、
4 北へ向かってアイヌ人[註1]のみアジアに残してウラル語族:フィンランド人、ハンガリー人、バスク人、エストニア人、チェチェン人、グルジア人、ダゲスタン人、アプハジア人が北極を越えてヨーロッパ入りしムー大陸系白色人種を成した。
[註1]:今日でこそ弥生人と混血してしまっているため、その特徴は不明確に成ってしまって居るが、明治初期にヨーロッパから遣って来た人類学者達は、長頭、秀でた額、狭い鼻幅、尖った鼻、根元から高い鼻、目尻が下がった眼、長い手足を持った色白で毛深いアイヌを見てこれはヨーロッパ系と見做した。アイヌ人はムー大陸系白人である。
5 アイヌ人と混血していたアルタイ語族系のシュメール人[註2]は誤って負の誘電率・負の透磁率の北極の穴の中に入り、高度の知見を得た後、穴から出て来て、二手に分かれ、
[註2]:中東に着いたばかりの元々アルタイ語族黄色人種系のシュメール人はヨーロッパ人顔負けくらい大きな眼をしていた。それは彼等がそれ以前にアイヌ人と混住していたからであった。そしてYAP遺伝子はアイヌ人に起源を持つ遺伝子であり、アイヌ人とムー大陸時代から混住していたシュメール人がアイヌ人のYAP遺伝子を中東へと持ち運んだ結果、今日、YAP遺伝子を持つ人種は、地球上でアイヌと日本列島原住民・縄文人とユダヤ・アラビヤ人のみとなった。[註3]
[註3]:黄色人種の根源であるウバイド民族がカナーンの地から全世界に散って、日本にも遣って来た、という2015年“天皇とワンワールド”時点の落合氏の主張は、それでは何故、トルコ人がYAP遺伝子を持っていないのか、モンゴル人がYAP遺伝子を持っていないのか、満州人がYAP遺伝子を持っていないのか、朝鮮韓国人がYAP遺伝子を持っていないのかを説明する事が出来ず、また何故、地球上でアイヌと日本列島原住民・縄文人とユダヤ・アラビヤ人のみがYAP遺伝子を持っているのかを説明する事が出来ない。よって以前の落合氏のウバイド民族論、そしてそれに類似のツラン族論の西からの日本列島渡来説は誤りとなる。
6 片方のシュメールのグループは北極を越えた後、ヴォルガ川の源流辺りから南下し黒海の脇を通り越してカナーンの地に至り、後に多民族国家イスラエル・ユダヤ王国のセム族を成し、
7 もう一方のシュメール人のグループはカラフト・サハリンを南下して、残っていたムー大陸の一部である日本列島[註4]に居住し、アイヌと平和共存し混住していたが、或る時、そのシュメールは日本列島を後にして、海路中東のチグリス・ユーフラテス川の河口付近に赴き、人類初の文明であるメソポタミア文明を開闢した。
[註4]:ムー大陸の北西の端に位置していた、当時今のヒマラヤ山脈よりも高い山脈が7万2千年前にインドネシアのトバ湖が巨大火山爆発を起こした結果、ムー大陸が沈んだ時、日本列島として残った。
8 古代イスラエル・ユダヤ王国は、黒人ハム、黄色人種セム、ムー大陸白人ヤペテが居住する多民族国家であった。
9 黒人ハムは元はと言えば、ムー大陸が沈んだ時、南西に逃げたドラビダ語族(釈迦にその血が混じっている)が更に西に進んで古代エジプトのハム語族を成したが、そのハム族が古代イスラエル・ユダヤ多民族国家の1構成民族であった。
10 アルタイ語族シュメール人が成したユダヤの黄色人種セム族は、イスラエル・ユダヤ王国を支配したのは白人ヤペテであったので、ヤペテの言語が強制され、習得されたセム語を喋るようになり、又、宗教としては純正ユダヤ教を信奉した。紀元66年~70年の第1次ユダヤ戦争でローマ帝国にユダ王国が滅ぼされた後、セム族は周辺地域に退去して統一国家を持たなかったが、紀元7世紀初頭にセム族の純正ユダヤ教はイスラム教へと進展した。また古代セム語に今日最も近い言語が支配者階級白人ヤペテの急速に文法が簡素化されたヘブライ語では無くアラビヤ語となったのもこのような経緯に依っている。
11 もう一つの構成民族であった白人ヤペテ族はムー大陸白人のハンガリア人であり、その頭目のモーゼが邪教タルムード・ユダヤ教の創始者であり、白人モーゼのユダヤ選民思想は白人至上主義と同根であり、紀元66年~70年の第1次ユダヤ戦争でローマ帝国にユダ王国が滅ぼされた後、ヤペテは東欧に逃げてその地に居たハンガリー人を邪教タルムード・ユダヤ教に改宗させ、ハザール帝国を築いた。又、このムー大陸系白人のハンガリア人は、その昔ムー大陸が沈んだ時、北へ逃げて北極を越えようとした時、誤って北極に穴の中に迷い込んだが、余りに悪党なのでアルザル人に追い出された。
12 ムー大陸が存在していた事の論証
南アメリカ大陸の南端には先住民の黒人インディオが住んでいる
http://terase.hatenablog.com/entry/2012/09/11/215227 より引用
“発掘された骨を調べるとその特徴がオーストラリアの先住民アボリジニと酷似してるようです。ニグロイドの派生型になるそうです。黒人の亜種的な感じでしょうか。”
13 ムー大陸が実在した論証
従来、黄色人種のアメリカ・インディアンや中南米のインディオは、シベリアから千島列島を歩いて渡ってアメリカ大陸入りした、との説明が為されているが、
そのような多数の民族が大移動するに至った動機が説明できなかった。
14 特に更に南アメリカ大陸の南端には黒人系インディオが居住していたし現在も居住しているのだが、“千島列島を歩いて渡った”説では、何故黒人インディオが先ず先頭を進んで、その後に黄色人種系千島列島を歩いて渡ったのかが全く説明できない。
15 私・佐野千遥は従来からブログで、アメリカン・インディアンとインディオはムー大陸が沈んだ時、ムー大陸から直接東に向けて、アメリカ大陸に上陸したと主張して来た。ムー大陸の南方地域の黒人住民が東に逃げて南アメリカ南部に居住することになった、とした場合、最も自然に南北アメリカ大陸に居住するアメリカン・インディアン、インディオの分布を説明する事が出来る。
16 南北アメリカ大陸に於けるインディアン、インディオの分布を説明するには、ムー大陸の存在が不可欠と成る。ここにムー大陸の存在の必然性が論証された。
17 黄色人種のアジア人でも、中国語族とアルタイ語族とは文法構造が丸っきり別の語族である。これだけ全く異なる語族が存在している事自体が、全く別々の起源の民族でなければならない事を示している。
18 中国語はその四声がアフリカのコイサン語族と共通のものである事から、中国語はアフリカから発生し、中国人はアフリカから発生したと言える。ところでアルタイ語族の起源となるべきアフリカとは別の大陸となれば、ムー大陸という事に成る。
19 今日の日本語は百済語であり、朝鮮韓国語は新羅語である。
20 何年か前に平成天皇が韓国で「韓国と日本とは昔から縁が深い。桓武天皇の母親は百済から嫁入りした。」と語った。当時宮廷では、百済語を喋っても言語上の問題が生じなかった事から、天皇一族は百済語を当時宮中で喋っていた事が分かる。
21 日本語は文法が98%韓国朝鮮語[註5]と共通である。よって日本の支配民族は朝鮮韓国系の渡来人であることが否定できない。
[註5]:最近、言語学会で、“アルタイ語族なる物は、語彙が互いに全く共通な物が存在しないのだから、語族と言えるか甚だ疑問である。”と主張する言語学者が多いが、私はアルタイ語系の言語の文法は85%共通であるという事自体大変な事実であり、文法の共通性自体だけを以ってしても、アルタイ語族を語族として認める必要が有るとの正論を説いている。
22 地球上に斯くも互いに通じない言語が斯くも多数出現するに至ったかの原因を従来の言語学は説明して居ないが、私・佐野千遥はそれは言語にはパスワード的役割を負っているからであると説明した。スペイン語・フランス語・イタリア語、そしてノルウェー語・スウェーデン語・デンマーク語、そしてペルシャ語・パシュトー語・タジキスタンのダーリ語はそれぞれほぼ同じ言語を喋っていたが、真ん中の地域が何らかの理由で隣の地域と敵対関係に陥った時に、自分達の仲間同志では良く通じるが敵対地域の人達には通じないように、文法は維持したまま語彙又は音声学を改変する事が歴史上、世界の至る所で起こった。これが地球上に斯くも互いに通じない言語が斯くも多数出現するに至った事の原因である。
23 現代ラテン語族系のスペイン語・フランス語・イタリア語の間には共通の語彙、共通な語根が存在するのはこれ等の言語の進化はせいぜい1万年でしかないのに対し、アルタイ語族の進化は7万2千年規模である為に共通語彙が皆無となるに至っている。
24 こういった経緯があるから朝鮮韓国語=新羅語と日本語=百済語は、百済・新羅の時代に既に語彙の違いが原因で全く互いに通じないアルタイ語族であった事に成る。
25 “伊勢神宮はユダヤ人のためにつくられた神社です。”
なる表現には屈折した誤りが幾つも含まれているので解説する。
26 シュメールはバビロニア第1王朝が滅んだ時、二手に分かれて逃亡した。その一つはチグリス・ユーフラテス川の源流のトルコのアナトリア地方に逃げ延び創った国が世界史で初めて鉄器を使用したヒッタイト王国である。ヒッタイト人はシュメール文字を使っている。
27 もう一手は、1万年前のシュメール文字で書かれた古文書を基に元来た日本に海路戻ったシュメール人グループであり、彼等は九州に王朝を開いた。セム化して日本列島に戻って来たシュメール人は今度はアイヌと戦争する。この九州のシュメール王朝の最後の王子がヤマト尊である。
28 この時代、東国を征伐に行く為に、海の兵シュメールのヤマト尊は宮崎県美々津河の河口から船出した記録が古事記に有るが、その美々津河の河口の岩場にシュメール文字が刻まれており、また東国の征伐に出かける前に大分県の宇佐で饗宴を開いた。その宇佐の神社にシュメール文字が刻まれた石板が残っている。
29 当時日本列島の広い範囲にアイヌが居住していた。シュメールの拠点は九州と名古屋と三浦半島と古代製鉄所の有った石巻と後、中東に行かないまま太古の昔から日本列島に留まったシュメールの物部氏が祭祀を司っていた出雲大社であった。
30 そうこうしている中に、朝鮮半島の百済から天皇一族が九州を来襲した。文字を持ったシュメールに対し当時未だ文字を持っていなかった百済族の天皇一族は戦闘に敗れて、アイヌしか居なかった手薄の中国地方の瀬戸内海沿いに逃げて近畿に陣取った。何故、文字を持っていないと戦争に弱いかというと、シュメールは石片に文字を刻んで司令官達に回し読みすれば闘いの最中に戦術の変更をする事ができるが、文字を持っていなかったアイヌや百済からの天皇一族は、戦術を変更するには、全司令官達を一堂に会して合議して決めなければならなかったからであり、戦闘の最中にはそれは不可能であったからであった。
31 百済人の天皇族が片仮名、平仮名を発明したのは、このシュメールとの戦争目的で有った。
32 ヤマト尊が最後に挟み撃ちされて戦死するのは伊吹山山中に於いてであるが、その時、ヤマト尊はシュメールの王のタケイナダネ王が家臣・名越(ナゴヤ)一族と共に治めていた拠点の名古屋から上陸してから、名越の北西に位置する伊吹山を越えてから、琵琶湖の南岸を翳めて近畿の天皇一族を討とうとしていた。
33 ヤマト尊が戦死した後、近畿の天皇一族は九州のシュメール王朝を攻め滅ぼし、セム化して日本に戻っていたシュメール人の王朝を血縁的に呑み込んだので、この時に天皇家の中にユダヤの血、元を正せばシュメールの血、更に元を正せば日本列島原住民のアイヌの血が流れ込んだ。
34 ヤマト尊の討ち死に直前に、名古屋のタケイナダネ王も戦死し、その家臣の名越一族は海路逃げて、同じくシュメール人の海の兵・三浦一族に助けを求め、三浦氏は名越一族に鎌倉と逗子の境目の名越(ナゴエ)の地を与え、名越(ナゴヤ)一族は、そこに名越(ナゴエ)の館を構えた。
35 時代下って、三浦氏は源頼朝を「陸の孤島」の鎌倉に招請し、頼朝が鎌倉に幕府を開いた。
36 更に時代下って、鎌倉時代の執権・北条氏の末代が、後醍醐天皇を討てとの命令を名越一族の頭目の名越高家に下し、名越高家は副官の足利尊氏とともに京都に攻め上るが、楠正成と赤松の曲者に敗れ、名越の軍勢は総崩れになった。これを見ていた足利尊氏は寝返って後醍醐天皇と結び、室町幕府を開いた。
37 時代を遡るが、出雲大社の祭祀を司っていたのは日本列島原住民シュメールの物部氏であったが、天皇一族はこの物部氏を曽我氏を使って攻め滅ぼさせた。そうして置いて、その後、蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が宮中で殺害して曽我氏を攻め滅ぼした。
38 中大兄皇子と中臣鎌足は又、聖徳太子の息子の山背大兄王を殺害している。
39 聖徳太子は百済人の天皇一族と曽我氏との混血であった。聖徳太子は5か国語を喋る事が出来た。天皇一族の百済語、高句麗系の曽我氏を親に持っていたのだから高句麗語、遣隋使を遣わしたのだから中国語、新羅と和を結んだのだから新羅語、そして驚くべき事にセム語を喋る事ができた。何故セム語を喋れた事が間違いないかというと、聖徳太子は後秦で厚く持て成された失われたユダヤの十士族の一つの秦氏が新羅経由で日本に到着すると、その秦氏の秦河勝(はたのかわかつ)を相談役としたのである。相談役といえば、相手の喋る言語を全面的に良く理解できなければならない。聖徳太子は中東から殆どセム化して日本列島に戻ってきていたシュメール人からセム語を習ってあったと考えられる。
40 天皇一族は日本列島原住民の出雲大社の古神道に代わって伊勢神宮を中心にした新しい神道に神道を衣替えさせたが、その際、新羅経由で日本に遣って来た失われたユダヤの十士族の一つの秦氏を日本全国に派遣して伊勢神宮系の神道に衣替えした。
41 その際、伊勢神宮系の神社の裏手に列島原住民の神であるアラハバキ神を祀る事を忘れなかった。「アラハバキ」とは古代セム語に最も近いアラビヤ語により分析すると、アラッハはアラーの神様の意であり、アバックが奴隷の意味で有り、その語尾の「ク」=kが「キ」=k + iに成っているのはiが所有格を表す為である。その結果、「アラハバキ」とは「奴隷の神」、つまり「奴隷の列島原住民の神」という意味になる。
42 よって“伊勢神宮はユダヤ人のためにつくられた神社です。”は二重の意味で間違っており、真実は「出雲大社は真のユダヤ人=日本列島原住民の為につくられた神社であった。」「伊勢神宮は天皇一族が支配体制を一新させる目的で出雲大社に代わって中東からの真のユダヤ人を使って作らせた神社です。」
43 元々百済系の天皇一族はユダヤ人・秦氏をこの時血族の中に取り込んだ。斯くて、天皇一族にはセム化して日本に戻って来たシュメールを血族的に飲み込み、新羅経由で日本に遣って来たユダヤ人=秦氏を血族的に飲み込んだ結果、ユダヤの血を引く家系となった。
44 現代日本語とはセム化して中東から戻って来たシュメールが支配者の天皇一族の喋る百済語をアラビヤ語的に僅かに改変して習得したものである。トルコ語、モンゴル語、満州語、朝鮮韓国語の全ての他のアルタイ語には“ng”の発音が有るが、ngを持たないアラビヤ語[註6]の影響を受けた日本語だけはアルタイ語であるにも拘わらず、ngの発音が無い。又、セム語は子音字だけしか書かない(母音は普通表記されない)為、百済語の中に埋もれてしまって、今日古代セム語が日本語形成に関与した痕跡を見つけ出すのが困難である。
[註6]:古代セム語に最も近い言語はヘブライ語ではなくアラビヤ語である。
45 ゲルマン人は白人ハンガリア人ヤペテから突然変異して発生した人種である。
46 ケルト人はムー大陸系黄色人種シュメールの成したセム族に属する。ケルト語の文法はセム語の文法である。
以上
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